2014年01月27日

日本の外交力の今昔(5)

昨日の続きになります。


最強国家ロシアに挑む日本は、各種外交工作と平行して資金工作にも乗り出します。
「4、高橋資金工作」です。


当時の世界の資金はイギリス・フランスに集まっており、ロシアの南進政策も資金源をそこに置いていました。
日本銀行副総裁 高橋是清は、そこからロシアに流れていた資金のパイプを日本に切り換える工作にうってでます。


たんに日本の戦争資金を調達するだけでなく、ロシア側の戦争資金も枯渇させる戦略です。


当時の国庫には5000万円しかなく、さらに一億の資金が必要とされました。
「大至急、一億の外債を募集せよ!!」
高橋是清に命令が下されます。


当時の世界の認識として、ロシアは最強国家です。
誰も日本に資金など出すはずがありません。
しかし、高橋は世界を飛び回り、銀行家、金融業者と接触、不屈の闘志で説得を続けます。
正直なところ運の要素もあったのですが、アメリカの親日化やユダヤの反露路線、それを察知したイギリスの資金提供などもあり高橋は、その年の5月には、早くも一億の募債に成功します(当時の日本の国家予算は4000万円)。


高橋は、これで満足せず、築いた人脈と優れた交渉力により着実に成果をあげていきます。
高橋は最終的には合計14億の募債をやってのけます。


興味深いのは、戦時公債の申し込み人に小口の応募者が多かったことです。
各国で日本公債は大人気でしたが、アメリカでは申し込み人の約5万人のうち、約4万3千人が小口の申し込みであったと記録されています。
ここでも日本が行った「アメリカ親日化工作」が効いてきています。


高橋是清が戦時公債募集のためにアメリカを訪れた際、どこへ行っても日本びいきばかりであったと、アメリカ駐在竹下勇海軍武官は証言しています。


公募は合計5回行われますが4回目にはドイツも動きます。
当時のドイツは、ロシアに満州進出をけしかけ三国干渉を主唱した、いわば日本の敵でした。
その国が、主力13銀行が共同し1億円の日本公債の引き受けることになります。
5回目にはフランスも日本に対し資金援助を開始します。


大橋武夫(元陸軍中佐・東部軍参謀)さんは、当時の高橋の働きぶりを「超人的」と評しています。
大橋さんの分析によりますと高橋是清には、

=================================
責任観念(自分が失敗すれば日本終わり)
能力(大勢を見極め、機を見る才能があった)
人間的魅力(国際的な友人が多く、積極的で、困難を苦しみと思わない)
=================================

の3つの天性が備わっていたと述べておられます。
しかし、昔の日本には凄い人がいたのですね。。
日露戦争といいますと、日本海海戦や奉天会戦など派手な軍事作戦がクローズアップされますが、一連の記事で見たような天才的外交工作が行われたいたことに留意しなければなりません。


今の外務省が当時にタイムトラベルしたとしたら、これができるでしょうか?
例の動画を見ますと難しい気がしてしまいます・・。


まぁ、政府の能力について一般市民が嘆いても何も変わりませんので、できるようなこともないのですが、国民は国民でできることを努力すべきなのでしょう。


大戦略家クラウゼヴィッツは、紛争の趨勢を左右する戦う精神力は、
『「将師の才能」「軍の武徳」「国民精神」の三つにより決まる』
と遺しました。
「軍」は国民から生まれるのですから、知性・能力・体力の質の高い“優れた国民”であれば優秀な「軍(集団)」が編成できます。


願うならば保守勢力の人々は、“優れた人々”を目指して欲しいと思っています。
ときどき中韓への憎しみが強くなりすぎて、頭がおかしくなっている人を見かけますので(^^;


最低限、状況判断能力(客観性の保持)、戦略的論理能力(感情で動かない)は身につけるように努力するといいのではないかな・・・と思います。
(どちらも大して持っていない、私が言うのもおこがましいですが(^^;)


一連のシリーズ記事、「日本の外交力の今昔」は、本日で終わりになります。
最後まで読んでいただきありがとうございました m(_ _)m


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2014年01月26日

日本の外交力の今昔(4)

昨日の続きになります。


日露戦争開始当時の日本は、なんと開戦と同時に早くも終戦工作を開始しています。
「3、金子終戦工作」です。


ロシアに勝てる見通しがない日本としては、有利な第三者調停が出るのを期待し、たとえ負けたとしても、できるだけ有利な条件で敗戦処理を行わなければなりません。


ちなみに大戦略家クラゼヴィッツは戦争で負けたとしても、戦後の敗戦交渉において上手く処理できれば、あとあと挽回することは可能であると考えていました。
以下のような言葉を遺しています。


戦争全体の最後の決戦でさえ、
常に絶対とは見なされない。

むしろ、敗戦国は不利な結果を一時的な禍と見なす。

戦後の政治的関係で、その禍を回復することは可能である。


日本は金子堅太郎を特使としてアメリカに派遣します。
伊藤博文は、なんと開戦前、すでに金子に対し
「この戦争の結末をつける仲裁者はアメリカ大統領よりほかにない」
と悲壮な見通しを打ち明けています。


ちなみにこの金子堅太郎という人物、ハーバード大学に留学経験があり、ルーズベルト大統領と同級生であったというから凄いです・・・あの時代にハーバードです。(^^;
海外生活の経験が永く、8年間のアメリカ滞在経験があり欧米人の気質をよく理解しており、それでいて法務大臣もつとめた秀才でした。


ちなみに日英同盟を締結した小村壽太郎もハーバード大学に留学経験あります。
また日本海海戦においてバルチック艦隊を殲滅した丁字戦法を発案したとされる鬼才秋山真之もアメリカに留学経験があり、マハン海戦理論で有名なアルフレッド・セイヤー・マハン大佐のもとで戦略を学んでいます。
東郷平八郎もイギリスへの留学経験がありますね、東郷平八郎は西郷隆盛と親交がありました、西郷さんの時代の話です。
昔の日本には凄い人がたくさんいたのですね・・。


金子はアメリカの主要都市を飛び回り親日のムード作りに奔走します。
当時のアメリカは二大強国の一つであるロシアに対して友好的であり、上流階級は、家の格式を高めるためにロシア貴族と婚姻関係を結ぶことを好むなど、とくに親露派でした。
有力な実業家たちも、旅順やウラジオストクに軍需品や資材を売り込んでおり実利方面からもロシアの味方でした。
金子の心労がどれほどであったか想像もできません。。


金子はルーズベルトをはじめ有力な政治家、政治団体、公共団体に次々と接触します。
さらには陸軍、海軍などの軍関係者とも接触します。
各地で講演を行い、冊子を配布します。
金子がどれほどの心血をそそいだのかは想像もできませんが、、、結果として金子の工作は成功します。


しかし、当時の複雑な世界情勢を鑑みたとしても、当初、強い親露派であったアメリカを以下のように扇動したのは驚くべきことです。


1:「個人として日本軍を支援したい」というアメリカ人が数えきれないほどあり、問い合わせに対し、いちいち返事を書いている暇がないので、印刷して待っていた。

2:乗馬に巧みなカウボーイで組織された義勇兵が、騎兵一ヶ連隊を編成し、従軍したいと申し込んできた。「日本騎兵には良い馬がなくて気の毒だ。われわれに一つコサック騎兵をやっつけさせてくれ。」という申し出があった。

3:「軍艦を一隻寄付したい」という申し込みがきた。当時としては最大級の軍艦を作って提供したいというのである。

(いずれもアメリカ駐在・竹下勇海軍武官談)


アメリカの慰安婦像にかんして日本が使節団を派遣し始めたのは、ここ最近のことでしょう。。
すでにアメリカには慰安婦碑と慰安婦像が合計5件設置されています。
なぜ、このような状態に陥ったのか・・・無念です。
日本の外交力の弱体化は、取り返しのつかないような状態なのかもしれません。。


そして今をもってネットで日本圧勝宣言をしている方を見かけますと不安になることがあります。
とくに、「日本は大丈夫ですか? 負けていませんか?」と書くと、「日本を貶めるな在チョン!!!」と私にメール送ってくる方々は、本当に日本人なのでしょうか?


このようなマイナーサイトにも来ているのですから、ランキング上位の有名サイトには絶対に来ているはずです。


こいうメールが大量の来ますと「脳みその足りない朝鮮ゴキブリは日本に完敗している、いい加減に気付けwww」と書きたくなってウズウズしてきます。
そして実際そういう文章も目にします。


ゆくゆくは、この件についても詳しい内容を書きたいと思いますが・・・先鋭化・過激化は社会運動においてはマイナス面が非常に大きいのです。
無駄な過激化は避けるべきだと私は考えています。。


明日に続きます。


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2014年01月25日

日本の外交力の今昔(3)

昨日の続きになります。


日露戦争開戦後、日本軍勝利の情報が伝わりはじめると、ロシア国内、サンクトペテルブルク、モスクワでは反戦運動がおこり、学生隊は「日本万歳!」と唱えてデモ行進をし、政府の忠誠運動を圧して従軍と国防献金(債権買い)に反対しました。


日本国政府は、秘密裏にロシアを内部から破壊する謀略工作をしかけていました。
「2、赤石謀略工作」です。


明石元二郎陸軍中佐は、ロシアの気質・歴史を徹底的に研究、ロシア国内に潜入し、ロシア共産党に接触、農民や労働者の暴動・水兵の反乱・在郷軍人の召集拒否運動などを扇動し、ロシア政府の極東における軍国主義政策の非を鳴らし、政府の転覆をはかります。


この謀は成功し、国際謀略のモデルケースとなります。
当時のドイツ皇帝ウィルヘルム二世は、その成果に感嘆し
『明石一人で、大山満州軍二十万に匹敵する戦果をあげた』
と述べたそうな・・。


事実、その10年後の第一次世界大戦では、ドイツは明石の手法を模倣し、帝政ロシアを崩壊させることに成功します。


なぜ、これが、今の日本にできないのか・・・やっているのかもしれませんが、効果はでていないようです。
そして、裏を返せば、おそらく特アの工作員は日本に対して扇動工作をしているでしょう。。
民主、社民、共産にも何らかの異分子が接触していたはずです。


ちなみに大橋武夫(元陸軍中佐・東部軍参謀)さんは、現在の日本には世界各国の謀略工作網が張り巡らされていることに触れ、現代においては謀略をすることよりも謀略に踊らされないことの方が重要であると述べておられます。。



現在のわれわれに大切なのは、謀略することではなくて、謀略におどらされないことである。

国家社会のため、民衆のためを念じ、泥にまみれて奮闘している者も、ときには冷静に足もとを見つめ、自分はいかなる基盤の上にたち、

自分の活動は結局誰を喜ばせることになっているのか、を追求してみる必要があると思う。(元陸軍中佐・東部軍参謀,大橋武夫)



以下のような発言を、ときどき見かけますが少し考えてしまいます。。


『手加減する必要は無い!徹底的に罵倒あるのみ!!』

『韓国もやっている、目には目をだ!!』

『他国のクレームなどほおっておけばよい、むしろクレームが来たらもっとやるべきだww』


法規制の可能性を増大させ保守活動に制限を加えられるであろう活動、どう考えても大衆の支持を得られないような活動、などを扇動している方をたまに見ますが・・・少し考えてしまいます。。


国家社会のため、民衆のためを念じ、泥にまみれて奮闘している者も
 ときには冷静に足もとを見つめ、自分はいかなる基盤の上にたち、
 自分の活動は結局誰を喜ばせることになっているのか
 を追求してみる必要があると思う。』(元陸軍中佐・東部軍参謀,大橋武夫)


明日に続きます。


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2014年01月24日

日本の外交力の今昔(2)

昨日の続きになります。


日本は、「勝てる見込みはほとんど無い」(金子堅太郎特使談)にもかかわらず、日露戦争開戦に踏み切りました。


そこでは国家の存亡をかけ、悲壮な覚悟で外交情報工作が行われました。
どのようなことが行われたのか・・・まずは当時の国際情勢を見てみましょう。


        *        *       *


当時のイギリスとロシアは二大強国で、南進するロシア勢力と東進するイギリス勢力は、中近東やインドで衝突し、さらに極東においても接触しようとしていました。


イギリスはロシアの満州・朝鮮進出をよしとしませんでした、アメリカも同様です。


フランスは、宿敵ドイツを背後から牽制するため、ロシアと同盟をむすんでいましたが、やはりロシアが極東に深入りするのを警戒していました。


フランスと決戦すべき宿命を持っているドイツは、表むきは親露的ではありましたが背後のロシアの国力に利する行動はとりにくい事情がありました。


日本は、この国際関係を機敏について、適切な外交工作をおこない国際的親日ムードを作りあげることに成功します。
当時のアメリカでの親日ムードがいかにすごかったのか記録が残っています。


1:「個人として日本軍を支援したい」というアメリカ人が数えきれないほどあり、問い合わせに対し、いちいち返事を書いている暇がないので、印刷して待っていた。

2:乗馬に巧みなカウボーイで組織された義勇兵が、騎兵一ヶ連隊を編成し、従軍したいと申し込んできた。「日本騎兵には良い馬がなくて気の毒だ。われわれに一つコサック騎兵をやっつけさせてくれ。」という申し出があった。

3:「軍艦を一隻寄付したい」という申し込みがきた。当時としては最大級の軍艦を作って提供したいというのである。

(いずれもアメリカ駐在・竹下勇海軍武官談)


なぜ、これが今の日本にできないのでしょうか・・。
熱烈的親日ムードどころか押されているようにすら見えます。


GDP世界第二位の中国が恐ろしいから各国は声を出しにくいのだ・・・それならば日露戦争当時のロシアは世界最強と目されていましたし、強硬な拡大路線は国内外から批判を浴びていました。


また、なぜ、アメリカ各地に慰安婦碑が設置されているのか・・・すでに慰安婦像を含めて5件のモニュメントが設置されています。
日本の外交力の低下には目を覆いたくなります。


        *        *        *


開戦劈頭日本軍の勝利の情報が伝わると、親日ムードはさらに広まり、ヨーロッパでは日本品の売れ行きが急増し、絹物は開戦後、数日で品切れに、ドイツ・オーストラリア・イギリスなどの日本大使館には、日本軍に従軍したいという志願者がぞくぞく集まることになります。


ポーランドのワルシャワ市民団体では「戦争が終わる日まで、毎月5万円ずつ日本に献金する」と議決し、欧米各地のユダヤ人団体も非常に熱心に、日本のための募金運動を開始します。(ユダヤ財閥は後に日本の募債にも協力することになります)


サンクトペテルブルク、モスクワでは反戦運動がおこり、学生隊は「日本万歳!」と唱えてデモ行進をし、政府の忠誠運動を圧して従軍と国防献金(債権買い)に反対しました。
これには、前述の「2、赤石謀略工作」も絡んでいます。。
日本は外交能力以外も優れていたのです。


明日に続きます。


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