『「東日本大震災に最初に駆けつけた救助隊は韓国ではなく台湾」というデマを信じる人がいまだに蔓延していて嘆かわしい』
というツイートに気がつきました。
どうも、池上彰さんの番組でひと悶着あったようですね、以下のような画像が引っかかります。

池上彰さんが「東日本大震災時、真っ先に日本へ駆けつけた国は韓国」と話し、それに対して、ネット保守が「最初に駆けつけた救助隊は韓国ではなく台湾」と反論した(人がいた)、というところでしょうか。。
で、事実関係はどうなのか調べてみました。
まず、3月11日に震災発生。
翌日12日に救援隊が到着した国は、二カ国あります。
一つは韓国、もう一つはシンガポールです。(外務省サイト&海外支援まとめWiki)
時間は、どちらも午後になっており、どっちが早いとかはよくわからないですね。
というか、地理的に韓国が一番近いですし、人の“行き来”も多いのですから、到着するのが一番早いのは当然な気も(^^;
ちなみに、聯合ニュースよると「外交通商部職員を派遣」「政府は韓国国民の安全対策を講じるため派遣」となっております。(通商部職員?・・・まぁいいですけど)
【ソウル12日聯合ニュース】東北沖大地震を受け、政府は韓国国民の安全対策を講じるため、対応チームを現地に派遣する。 外交通商部当局者はこの日、「政府の迅速対応チームが本日午後6時ごろ、日本の仙台に向かう。新潟空港を通じ、車で現地入りする予定だ」と明らかにした。 政府の迅速対応チームは外交通商部職員5人で構成される。現地で韓国国民の安全および被害状況を把握し、衛星電話を利用して本部に状況を報告する予定だ。 [東北沖大地震、政府の対応チームがきょう現地入り] http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2011/03/12/0200000000AJP20110312000300882.HTML |
では、台湾は・・。
台湾は13日到着です。(ソース、下の李登輝元総統の証言でも13日になっています)
ただ、到着後、受け入れの許可がおりなかったようですね。
日本政府が許可したのは13日の夜とのことです。
一方、韓国の場合は、12日午前の段階で受け入れを決定。(到着は午後)
シンガポールも即時受け入れ、12日午後から活動を開始しています。
日本政府が、台湾の救援隊の入国を妨害した、とかいう怪情報も引っかかるので調べてみました。
確かに、それに類する報道が引っかかります。
台湾の救援隊、2日待たされ到着 日本、中国側に配慮か 【台北=村上太輝夫】台湾の救援隊が14日、羽田空港に到着した。11日の地震発生直後にすでに隊員派遣の用意を表明しながら、丸二日も待機を強いられた。台湾側は「中国要因でしょう」(外交関係者)と受け止めている。 日本側はいったん救援隊を受け入れると返答したが、その後「現場が混乱している」として、待つよう要請した。だが、その間に各国から救援隊が入り、台湾メディアから「なぜ入れないのか」と疑問が出始めていた。 日本政府は1972年に台湾と断交、「台湾は中国の一部」とする中国の立場に配慮しており、台湾隊をいち早く受け入れることをためらったとみられる。 13日に中国の救援隊が現地入りし、同日夜にやっと台湾隊受け入れが決まった。 [台湾の救援隊、2日待たされ到着 日本、中国側に配慮か] http://megalodon.jp/2011-0314-2116-51/www.asahi.com/international/update/0314/TKY201103140399.html |
(注).上の記事で14日に羽田に到着したのは第二陣ですね。台湾の救助隊は13日の段階で医師などを含む第一陣が到着しています。
また、以下は、李登輝元台湾総統の証言です。
99年9月21日、台湾大地震が起こったのは台湾総統の任期があと8カ月で終わるときであった。各国から救助隊がやってきたが、真っ先に駆けつけてくれたのが日本であった。人数も多かった。またありがたいことに小池百合子代議士は、仮設住宅の提供を申し出てくれた。さらに、当時曽野綾子氏が会長を務めていた日本財団は3億円を寄付してくれた。授与式には曽野氏がわざわざ訪台され、私と会見した。その際に私は曽野氏に対して、もし将来日本で何か起こったら、真っ先に駆けつけるのは台湾の救助隊であると約束した。 しかし、先の東日本大震災ではその約束が果たせなかった。震災発生直後、日本の対台湾窓口である交流協会を通じてすぐに救助隊の派遣を申し出たのだが、なかなか話がまとまらない。時間を無駄にはしたくないと考えたわれわれは、やむなく山梨県甲府市のNPO(非営利団体)と話をつけて、救助隊を自力で被災地に向かわせることにした。 台湾からの救助隊の第一陣が成田空港に到着したのは3月13日。すでに中国や韓国の救助隊は到着していた。さらに日本に到着してからも、「台湾の救助隊を迎え入れる準備ができない」と外務省にいわれてしまう始末であった。 なぜ、当時の日本政府は台湾の救助隊を受け入れることを躊躇したのか。「台湾は中国の一部」とする中国共産党の意向を気にしたとされる。日本の台湾に対する気持ちはその程度のものだったのかと残念に思った。日本に何かあれば、台湾の救助隊がいちばんに駆けつけるという曽野氏との約束を果たせなかったことは、私にとって生涯の痛恨事である。 [東日本大震災での痛恨事] http://blogos.com/article/61441/ |
上の朝日新聞の記事と似かよった内容があり、当時の日本政府が、台湾救援隊の入国に対して、なにか手を加えたというのは事実なのでしょう。
李登輝元総統の手記を読むに、東日本大震災時、台湾は、日本に駆けつけることさえ難しい状況だったようです。
それでもなお、自力で被災地へ向ったとのこと。。
* * *
色々と調べてみましたが、池上彰さん意図はわかりますが、時間的に「真っ先に駆けつけた」とかいうのは、あまり意味がないことなのではないでしょうかね。。
(李登輝元総統が、それに拘ったのは日本財団会長曽野綾子さんとの約束があったからです)
なぜなら地理的に近いところが早く到着するのが当たり前だからです。
(ちなみに東日本大震災において、もっとも早い外国救援隊は在日米軍です)
支援の早さを見るのであれば、「支援申し入れ」の早さを見るべきだと思いますが、日本と関連のある主要国のほとんどが11日の震災発生後、数時間以内に「支援申し入れ」をしています。(中国、ロシアも11日の段階で申し入れています[ソース])
もっともこれも当たり前の話で、対立国であろうとも、国交のある国が、稀に見る大災害にあったとしたら、どんな形であれ「支援申し入れ」はするでしょう。
これで無関係をきめこむというのは、現代人の感覚からはあり得ないでしょう。
池上彰さんが何をしたかったのかはわかりますが、考え方として、意味のないことだと私は思います。
もしよろしければ―→


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参考[シンガポールのレスキューチームの受入れ]
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/3/0312_11.html
参考[韓国の救助犬チームの受入れ]
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/23/3/0312_08.html