2015年05月29日

谷山雄二朗、竹島問題を語る。文字起こし

慰安婦問題を研究している日本人活動家の谷山雄二朗さんが、「竹島問題アットマーク憲政記念館」という自身が行った講演の動画をYouTubeにて発信されています。


観てみて、おもしろい内容だと思いましたので、ここでも紹介いたします。


竹島問題における、韓国側の主張の矛盾点を分かりやすく説明されています。


会場には、韓国のテレビ局のカメラも入っており、英語を織り交ぜながらの講演になっていますが、字幕が入っていますので内容の理解に問題はありません。




ちなみに、興味はあるけれど45分は長すぎる・・・見る時間がない、、、という方のために、講演の本題部分(7:30〜)をテキスト化しておきましたのでスクロールしてお進みください(分かりやすいように画像を入れておきました)。
興味がある方は一読してみて下さい m(_ _)m


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「竹島問題アットマーク憲政記念館」・・・今日は韓国の方々に対して、挑発するような言葉、言動も出て来ると思います。
しかし、お互い民主主義国家、言わなければならない事は言わねばならない、そう思っております。


さてそうしたなか、まず最初に、韓国の方々に三つ質問があります。
一つ目、皆さんは、独島という言葉が、朝鮮の歴史上、、、韓国の歴史上、いつ始めて登場したかご存知でしょうか?


今、朝昼晩、皆さん、独島、独島、独島と使われていますが、果たしてその“独島(ドクト)”という言葉は、いつ出てきたのか?
15世紀?、NO!
16世紀?、NO!
17世紀?、NO!
18世紀?、NO!
19世紀?、NO!!
じゃあ、いつなんでしょうか・・・20世紀?、、、YES。


そうなんです、20世紀まで、韓国の皆さんは、独島という単語を使ったことが無かった。それは、韓国の歴史家の方々も認めています。
韓国の歴史書には、独島という言葉は、1906年3月5日まで一度も登場していないんです。
にも関わらず、韓国の方々は、こういう言う、
「独島は、我々朝鮮民族の、この“ふるさと”であり、そして、懐かしの場所なんだ」、と。


じゃあ、そこで質問です。もし、そうであるならば、何で独島という名称が、1906年3月5日まで登場しなかったんですか?、それを是非、明確に、お答え頂きたい。


日本の江戸時代、1600年代、1700年代、1800年代、1900年代、、、1800年代までだけど、その間、ずーーっと独島という言葉はありませんでした。


では、日本の方はどうか?、日本で初めて、今の竹島、、、ここに地図がありますが、ここにあります竹島。日比谷公園よりちょっと大きいぐらいの大きさです。
この小さな島をめぐって、今、我々は喧嘩しているわけなんですが、日本で、、、ちなみにこれは僕が作った手製の地図であり年表です。JAPAN、KOREA、、、後で簡単に触れさせて頂きますが。


take.jpg
[管理人注:竹島・鬱陵島・竹嶼(チュクト)の位置関係]


日本で初めて、今の竹島が出てきた、、、現れてきたのは何時かご存知ですか?
そうです1667年、出雲藩士の齋藤豊宣という方が編纂した地方紙、地方雑誌、まぁ今でいうとR30みたいな、そんな感じだと思いますが、、、そういう地方紙に1667年に初めて登場した。


ただ、ここで覚えておいて頂きたいことは、江戸時代の日本人は、今のこの竹島のことを松島と呼んでいました。
そして今の鬱陵島、韓国の鬱陵島のことを竹島と呼んでいた。これ、極めてまぎらわしいですが、そういう歴史的な流れがあります。


では、何で今、日本人はこっちを竹島と呼び、こっちを鬱陵島と呼ぶのか、、、今、鬱陵島と呼んでいますが。
それは様々な説がありますが、分かりやすく言えば、1840年、シーボルト、、、我々も勉強したと思いますが、長崎にオランダ政府から派遣されてきたドイツ人、医学とかを日本に伝えてくれたシーボルトさん、彼が日本に来て、ヨーロッパに戻った後に、「日本」という本を書きました。おっきな本。
その本の地図、付録の地図の中に、この日本人が、当時・・・1800年代当時、竹島と呼んでいたこの鬱陵島、これに松島という名前を付けてしまった。それがヨーロッパに広まった。


これはもうね、非常に複雑な問題なんですけれども、とにかくそういう様々なことがあって名称が変わり、それが今の今日の竹島問題を非常に複雑にしています・・・。


こちらチュクト(竹嶼、韓国国内では「竹島」とも呼ばれる)、韓国のチュクトといいます、、、ここに鬱陵島から2.2キロ離れた所にチュクトという島がある、これもある意味、竹島なわけです。非常にまぎらわしくなっている。


ただどうであれ、まず一つ目、韓国の方々に、どうしても知って頂きたいこと、そして投げかけたい疑問は、質問は、「皆さんは独島という単語がいつ初めて出てきたかご存知か?」ということです。


韓国は1906年3月5日、日本は1667年、これくらい歴史的なギャップがある、ということがまず一つ目です。


それでは二つ目の質問です。
韓国の皆さんは、李氏朝鮮という国家をもちろんご存知ですね。1392年、李成桂という人が、1392年に李氏朝鮮という国家を創りました。1392年から1897年まであった国家です。


そこで韓国の方々に質問です。皆さんは李氏朝鮮王朝が、1403年から1882年まで、空島政策(EMPTY ISLAMD POLICY)をとっていたことをご存知ですか?


そしてこの空島政策とはどういうことかと言うと、この当時、1403年から1882年までの間、この当時の李氏朝鮮から鬱陵島に行けば、これは法律を犯したことになると、、、というので、そこで魚を捕って返って来て、捕まったら死罪だったんです・・・。


こんな時代にですよ、そんな時代に、何で朝鮮の人達が、ここ(鬱陵島)からさらに90キロも離れた竹島にまでリスクを犯して行くのですかと…。
しかもここは二つの岩ですよ・・・飲み水も無い、そんな所に行きますか?、ということです。


常識的に考えて韓国の皆さん、それはあり得ないと僕は思っています。
だからこそ、独島という存在も韓国の方々には、李氏朝鮮の間は知られていなかったわけです。
だから1906年3月6日に初めて登場する・・・ここでちょっと、ダルビッシュのカットボール、いかせて頂きたいと思います。英語ボール。


(しばらく英語での李氏朝鮮の空島政策について解説。上記と同じ内容)


もしも李氏朝鮮時代の朝鮮人だったら「死罪」になるリスクを犯してまで赴くなど考えられない。
しかも鬱陵島まで120キロ、そしてさらに東南へ90キロなんて常識的にあり得ません。たかが魚のために、そこまでしますか?


よって韓国の皆さん、繰り返しますが「空島政策」をとっていた李氏朝鮮の時代に、皆さんのご先祖が今の竹島まで航行した事はなかった。
だからこそ、「DOKDO-独島」という固有名詞は、1906年3月5日まで朝鮮の歴史に一度も登場しなかったのです。
その時になって初めて、鬱陵郡守の報告書に「鬱陵島所属独島」の記録が出てくる。


そうしたなかで、今、二つ目の質問をしましたが、韓国の方々、そのことをご存知でしょうか?
空島政策をとっていたなかで、自分の命を犠牲にして魚を捕りに、ここまで行ったとは私には到底思えません、捕まったら死罪だったわけですから。


皆さん最後の質問です。
三つ目の質問、それはですね・・・今、韓国の歴史家の方々、そして政治家の方々が根拠にする、、、一番信頼している朝鮮の歴史書ですね、、、3つあります。


一つ目、「高麗史地理誌(1454)」、これは1454年に書かれました。
二つ目、「世宗実録地理誌(1472)」、これ1472年。
そして三つ目、「新増東国輿地勝覧(1531)」、1531年。


さてそうしたなかで、この、今の韓国の歴史家、政治家の方々は、こう言います。
この三つ目の新増東国輿地勝覧(シンゾウトウゴクヨチショウラン)、ここに地図が載っているんですね、その地図には二つ島が載っている、、、鬱陵島と于山島(ウサントウ)です。
そして今の韓国の方々が言うには、この于山島が、今の彼らの言う独島だと。


後ほど地図をお見せします、二つ島が載っている、鬱陵島と于山島、、、二つ載っている。
ところがよく見るとですね・・・この于山島が、、、実は、こっちの方に書かれているのですね。(地図の鬱陵島の西側を指でさす)


dokuto1.jpg

dokuto2.jpg


皆さん、竹島はどちらにありますか?
当然、(鬱陵島の)東側にありますよね・・・常識的に考えて、こっち側にある于山島、西側にある于山島が、竹島でないということは要はレディ・ガガでも分かることなんです。
まぁ、彼女はもしかしたら地理学が、すごい得意かもしれないけど(笑)


しかも、この新増東国輿地勝覧の地図には、鬱陵島と于山島はサイズがほとんど同じです。
さっきも言いました、竹島というのはたった、、、日比谷公園を大きくしたぐらいの大きさですよ、何十倍もこっち(鬱陵島)の方が大きい、鬱陵島の方が。
よって、極めて、根本的な考え方ですが、僕が研究した限りでは、こっちにある于山島が、今の独島であるということはあり得ないということです。


さっそくご覧いただきましょう、こちらがその地図です。
韓国の皆さん、ご覧のとおり「于山島」は、鬱陵島の西側に描かれています。つまり皆さんの「独島」にはなりえません。
皆さんの「独島」は、もちろん鬱陵島の東側にあるからです。
よって、皆さんのご主張は、明らかに筋が通りません。


しかしながら皆さん、驚いたことに、今この鬱陵島の独島記念館というところに行くと、これがですね、このように展示されています。
ご覧ください、鬱陵島があって、こっち(東側)に于山島があるんです…


dokuto3.jpg

dokuto4.jpg


これは歴史の捏造と言うんですね・・・僕も最初見た時、信じられませんでした。


(しばらく上記の内容を英語で解説)


これが歴史の捏造であり、虚偽表示であり、茶番であることは言うまでもありありません。


これは茶番なんです皆さん・・・韓国の方々、勉強してない方々にも、これはご理解いただきたい。


これを作ったのは、おそらく韓国の方々のナショナリズムを煽りたくなる政治屋たちです。
韓国の政治家や知識人が、この竹島問題をいかに「政治利用」しているか、これで少しはお分かりいただけたでしょうか。


日本人も不勉強ですが、韓国の皆さんもこういう歴史的捏造に騙されないように、少しは独島ならぬ「独学」されてください。
だって皆さん、あのハリー・ポッターさんだって、「これはおかしい」って気付くでしょうからね。
急にブリティッシュアクセントになっちゃったけど(会場笑)


こういうことをしていては、日韓の未来関係は、僕は作れないと考えています。
親愛なる韓国の皆さん、あなた達が、こういう歴史の捏造をしているようでは、未来志向の日韓関係を築くことなど不可能です。
あのトム・クルーズさんでも「ミッション・インポッシブル」と諦めるでしょう。


我々が「歴史問題を解決する」ためには、皆さんがまずはこうした歴史の歪曲をやめて頂くことが出発点です。
我々、今の若い日本人は韓国の皆さんと共に真実と向き合うことを決して恐れていません。
そして日韓の相互理解を深めようではありませんか。それこそがDEMOCRACYの真骨頂、、、ここは中国じゃないです。(会場笑)


日本と韓国では、言論の自由が保障されている。ならばオープンに話し合おうじゃありませんか。
日本と韓国は、真の友人になれる、いや、なるべきなのです。
林・昌勇(イム・チャンヨン)をご存知ですねよね。そう、韓国を代表する名ピッチャーです。
余談ですが、私は激弱ヤクルト・スワローズのファンクラブに入っていて、これまで彼には神宮球場で大変お世話になりました。
つまり我々、日本人と韓国人は民間レベルでは「東方神紀」から“NARUTO”まで、さまざまな人的・文化交流を深めています。


しかし、韓国の政治家の皆さん方が、この「于山島の地図」のように歴史を捏造するのであれば、両国の本当の友情へは発展しません。
しかも、新増東国輿地勝覧(1531)は、皆さんの先祖が作った歴史書ですよ。それを今、皆さんは自らで否定して恥ずかしくないのですか…。


朝鮮は素晴らしい歴史を持っています。日本より進歩していた時代もありました、それを否定するつもりなど、まったくありません。
しかしながら今、韓国の皆さんは鬱陵島の「独島記念館」で、その歴史を自らの手で否定しているのです。
繰り返しますが、こうした歪曲は建設的ではないし、日本の未来志向の関係構築を明らかに阻むものです。


さてこうしたなかで、こちらの年表、、、簡単に振り返ってみたいと思います。
こちら先ほど申し上げました、1667年、日本で初めて「陰州視聴合紀」という齋藤豊宣が編纂した、この地方紙ですね、、、に松島として今の竹島が登場する。
そして、これ韓国・・・韓国は1403年から、先ほど言いましたが、1882年まで、空島政策をとっているんです。
よって、今の竹島に行ったとは、到底、考えられません、捕まったら死罪なんですから。


ちなみにですね、この于山国・・・この地図、于山島と書いてあります。
何で二つの島があるのか、、、皆さん、不思議に思うでしょう、それは何故かというと、昔、古代朝鮮に于山王国という王国があったんです。
それも、、、しかもそれが、鬱陵島にあったという、そのことが朝鮮で一番古い「三国史記(1145)」、これに明確に書いてあるわけです。


要は当時の于山王国は・・・我々も古代史で勉強しました、、、任那とか新羅、百済、、、その新羅に512年に征服されているんです。
そして、この「新増東国輿地勝覧(1531)」、これに、この様にも書いてある、
「朝鮮の人々は、この于山島と鬱陵島を一つの島とみなしている」、そのようにも言われている。
要は、一島二名です、呼び方が二つある!、ということです。そういうことも「新増東国輿地勝覧(1531)」に書いてあるわけです。


ところがそのことを韓国メディアも報じないし、韓国の政治家も言っていないと思う…。


韓国の皆さん、ウルルン島(鬱陵島)と于山島は一つ島を指したのです。
(管理人注:ちなみに鬱陵島と竹島は約92km離れています、これを一つの島とみなすことはあり得ないはずです)


その証拠に、1861年と1864年の李氏朝鮮の地図には「ウルルン島(鬱陵島)」一つしか描かれていません。“ドクト(独島)”は当然、無い。


親愛なる韓国の皆さん、急いで、現在あなたの最も近い図書館に行き、コピーを手に入れ、自身の目で確認いただければ手っ取り早いでしょう。
また、「新増東国輿地勝覧(1531)」は、朝鮮で書かれた歴史書であり、誇り高き韓国人の方々は知るべきだと私は考えています。


朝鮮最古の歴史書、「三国史記(1145)」にも、「ウルルン島(鬱陵島)」にあった于山王国は、512年に新羅に滅ぼされた、と記述してある。
クドイようですが、于山島は、決して皆さんの言う「ドクト(独島)ではない、という歴史的なバックグラウンドを、知って頂きたいのです。」


確かに、これは紛らわしいかもしれません。そして十五世紀ごろの、朝鮮の歴史家たちも曖昧な地理の感覚しかなかったのでしょう。
だからこそ、「ウルルン島(鬱陵島)」と于山島という二つの島を同じ大きさで地図に記した。
しかも、これら二つの島名は、「ムンバイとボンベイ」のように一つの場所を指す、とも朝鮮の歴史書に書かれている。


さて、この「竹島講演アットマーク憲政記念館」・・・こちらこのような流れでずーっときます(ボードの年表を指差す)、ご覧のとおりね。
そして、続いてですね、後半にうつりたいと思いますが、戦後の動きに移りたいと思います。


要は日本が戦争に負けて、日本は7年間、アメリカに支配されたことを皆さんご存知かと思います。
1946年、マッカーサーラインというものを、マッカーサーは引きました。
そしてその中で、日本の施政圏から、一時的に外れると・・・エリアとして日本の今のイオウジマ(硫黄島)、イオウトウとも云いますがイオウジマ、伊豆、小笠原諸島などなども含まれました。
そして、今でいう竹島、それも一時的にマッカーサーラインから外れました。
ところが、それは何も日本の主権を否定したわけではなく、日本が要は敗戦国だと、、、自分で自分のことを統治できなかったということで、一時的に、施政圏を分けただけのことなんです。


その証拠にアメリカ政府は、竹島は日本の物だと歴史的にも思っていた・・・その証拠を続いてお見せします。
こちらです、三つあります。


一つ目はですね、こちら、1949年12月29日書かれた、要はサンフランシスコ講和条約の前に作られた、、、えー、ドキュメントです(12/29に米国が作製した条約草案のこと。“Draft Treaty of Peace with Japan”)。
こちらに書いてます(資料を見せる)。


これは明らかに、竹島は日本領土である、という米国政府の立場を述べています。
大声で読んでみましょう。


U.S. goverment's Rusk document draft. Dec.29.1949
the territory of Japan shall comprise the four principal Japanese islands of Honshu, Shikoku and Hokkaido and all adjacent minor islands including the islands of the Inland sea - Setonaikai, Tsushima, Takeshima(Liancourt Rrocks) and all other islands in the Japan sea


二つ目になります。
すでに知っている方もおられるかもしれませんが、ラスク書簡という物があります。


当時、アメリカ国務次官補だった、ラスクさんという人が、、、ディーン・ラスクという方が、韓国側に対して、最終答弁をしています。
要は、サンフランシスコ講和条約がサインされたのは、1951年9月8日です。そしてそれが発行したのは、1952年の4月28日、ここ憲政記念館で、今年もその式典が行われる予定です。
えー、安倍さんも、、、そして、天皇陛下もここにいらっしゃるということで、そこもなにか巡り合わせを感じるのですが、、、そのディーン・ラスクがサンフランシスコ講和条約の前に、ラスク・ドキュメントという物を書いています。
そこには、こう書いています。これは韓国政府に対する最終答弁ですね。


US State Dept “Rusk document" Aug.10,1951
As regards the island of Dokdo, otherwise known as Takeshima or Liancourt Rocks, this normally uninhabited rock formation was according to our information never treated as part of Korea and, since about 1905, has been under the jurisdiction of the Oki islands Branch Office of Shimane Prefecture of Japan. The island does not appear ever before to have been claimed by Korea


要は、1905年から、島根県の管轄に、しっかりと入っていると、、、そして歴史上、一度も韓国領土になったことはなく、韓国サイドが、竹島の領有権を主張したことも一度もなかった、ということを1951年8月10日に、当時のアメリカ国務省次官補のディーン・ラスクさんは言っている。


そして、これに激怒したのが、誰だったかというと、イ・スンマン韓国大統領。
彼は、これはヤバイと、、、当時、朝鮮戦争が行われていました、キム・イルソンとイ・スンマン、、、その流れを利用して、何とこの翌年の、、、要は、この五ヵ月後ですか・・・1952年の1月の18日だったと思いますが、記憶が正しければ・・・イ・スンマン・ラインというラインを勝手に引きます。
その時に彼は、こっち側に、竹島を自分の領土に入れたわけです。


日本は当時、敗戦国で軍隊も無かった、警察予備隊ができたかできないかそれぐらいの時です。
その時に韓国の方が、武力が強かったわけです、戦争してたんだから、朝鮮戦争。
それでラインを引いて1954年に自分の物にしてしまった。武力侵攻して占領したわけです。
そして、その1954年、武力侵攻した1954年、最後に(最後の証拠として)、こちら、こういう、歴史、、、えー、秘密文書だったんですが、1980年代になってオープンになった文書を紹介します。


これは、「James Van Fleet Report 1954」・・・要は、後に、韓国大使にもなったアメリカのジェームス・フリーという軍人が書いた秘密文書ですね、もうオープンですが。こう書いています。


U.S. goverment's “James Van Fleet Report”1954
The United States Concluded that they(谷山注:竹島のこと) Remained under Japaniese sovereignty and the Island was NOT included among the Islands that Japan released form its ownership under the San Francisco Peace Treaty(1951)


と書いてあります。
この時点でも、1954年のアメリカの公文書でも、竹島は日本のテリトリーと言っている。


いいですか皆さん、自衛隊ができたばかりで日本が軍事力ゼロだった時に、竹島は、イ・スンマン韓国大統領によって侵略されましたが、その武力占領の1954年の段階においてもアメリカ政府は「竹島は日本領である」とのスタンスを保っていたのです。
そして最後に、ここが重要です。こう書いています。


Though the United States considers that the islands are Japanese territory, We have declined to interfere in the dispute


アメリカ政府は、竹島は日本の領土だと思っているが・・・内政干渉はしない、この紛争にはかかわらない、と、いう、ある意味、極めてずるい立場を、またアメリカは、計画的かもしれないけれど、言いました。そして、


Our position has been that the dispute might properly be referred to the International Court of Justice


要は、日韓両国で、ハーグに持っていって下さい、と、、、国際司法裁判所で国際法にのっとって平和的に解決して下さい、ということが、1954年に、すでに韓国政府に伝えられていたんです。


それからもう70年近く経とうとしている・・・でもまったく、進展はありません。
そうしたなか、今日のこの「竹島講演アットマーク憲政記念館」は、どうやってそれだったら解決できるかを皆さんと考える、そういう場です。


誰か、いい知恵はありませんか?・・・なかなか無い。
そこで、最後に、このスピーチ、結論の方に移らさせて頂きたいと思います。
僕は、この竹島問題を、解決できるのは、皆さんであり、僕であり、もしこの部分を使って頂けるのならば、このテレビを見ている韓国の方々だと思っています。
ひとりひとりの個人が、繋がることによって、解決できると思っています。
先ほど言いましたが、権力者や、政治家、お金持ちに任せていれば、永遠にこれは解決されません。
じゃあそれはどうやったら繋がるか・・・INTERNET、もうそれしかないと思っています。


我々は、僕も、FaceBookで、韓国人の友達と繋がっています、皆さんもそうでしょう、友達レベルでは皆つながることができる。
ところが、お互いのメディアがこれを煽って煽って、結局、もう収拾のつかないところまで来てしまっている。
あの、チュニジアの革命、あれは、Twitter革命といわれました。そしてFaceBook革命が起きたのはエジプト・・・僕は、ちょうどあの革命が起きる一ヶ月前にエジプトでラクダに乗ってたんです。


余談ですが皆さん、あの時、私はラクダさんと共に、炎天下のカイロのピラミッドを背景に歩いていたんです。
ムバラク前大統領のポスターが、その時はカイロの市内に、たくさん貼られていました。
ところが帰国したら、革命が起きていた。独裁者・ムバラクさんは、逮捕されていたのです。
つまり天と地が、わずか一ヶ月で、ひっくり返ったのです。インターネットのパワーによって。正直、燃えましたね。


よってインターネットがキーワードであることは間違いないと思います。
その証拠に、ここでもサインしてくれた方がいるかもしれませんが、、、実はインターネット署名活動というものを去年の暮れから今年の頭、竹島の日まで行いました。
人数はさほど集まりませんでした、1456名、えーー、まぁFaceBookだったということも、、、実名だったということもあって、日本人も実名はあまり出しにくい、ポリティカルなことは嫌だ、という人もいたかもしれない。
でもどうであれですね、ここで注目しなければいけないことは、48カ国からサインがあった、ということです。


その48カ国その中には、ベネズェラ、コロンビア、スゥエーデン、ポルトガル、アフリカもありました、要は、僕が、人生で一度も会わないだろう、一度も握手もしないだろう、そういう人達が、この竹島問題を、国際司法裁判所に持っていこうとラスクが言った、その、まぁこの提案をですね、平和的に解決しようということをサポートしてくれたわけです。
多分、一生会わないと思います、僕が一番びっくりしたのは、一番、もちろん日本人が一番多かった、ところが48カ国の方々が、署名してくれた。
これはねぇ、インターネットの可能性というものを本当に感じさせてくれる非常にビッグな事件でした。


とにかく、最後に私が強調したいことは、世界の人々が、竹島問題においても「平和的解決」を密かに望んでいるということに他なりません。武力による解決は、誰も望んでいない。
シリア、イラク、アフガニスタンでは、今日もなおテロや武力で市民が大量に死んでいる。
ボストン・マラソンのテロも「武力の悪の連鎖」、釈迦に説法ではありますが、人類は、そろそろ進化せねばならない、犠牲になるのは、殆どの場合が市民ランナーや子供です。


よって、もしも皆さん韓国人、そして我々日本人が、この「飲み水も出ないボンボコリンな二つの岩」を巡って、戦争でもすることになれば、あなたの韓国人の母と息子が死に、私の日本人の同胞たちが死ぬ・・・果たして、そこに勝者が生まれるのでしょうか?
だからこそ、私は今こそ両国民が内向きな排外主義に陥らず、まずは、インターネットでのつながり、真実と向き合い、竹島問題を平和的に解決するための「CHANGE」への一歩を踏み出すべきだと考えます。


そして、その「第一歩」として、私は、仲間と共に新たな取り組みにチャレンジすることにしました。
Japan Broadcasting.netという「オンラインTV局」を近々立ち上げる予定です。
新しい“Japan”を英語メインで世界に発信するプラットフォームになればと考えています。
そして今回、韓国メディアのカメラが、この「竹島問題アットマーク憲政記念館」にて回っている機会を活かし、一つ、ご提案させて頂きたい、日韓共同で、竹島など歴史問題を取り上げる「オンラインTVディベート番組」を立ち上げませんか?


そして世界共通ツールである英語でオープンな形で、ディベートするのです。
ここから「未来志向の日韓関係」がスタートするかもしれません。
例えば、「日韓女子高生30人 vs 30人」による竹島ディベート、両サイドとも予習が必要になる。
竹島問題を、「AKB48 vs KARA + T-ARA」で本音でディベートしてもいい。欧米では、Angelina Jolieや、George Clooneyなど、社会的発言・活動をしている俳優も多い、「少女時代」にも参加してもらう。
そうした日韓の次世代を含む老若男女が竹島問題で本音をぶつけあうディベート番組をやるのです。
それを英語でやる、インターネットには国境はありません。
そうすれば、世界中の人々も参加し、議論し、シェアできる、そこから解決策を見出せるかもしれない。


それでは皆さん、そろそろ終わりが近づいてきましたが・・・本当の最後に皆さんに御紹介したい物があります。
実は今日、僕の叔父さん、、、僕の父親は80歳ですが、その上の叔父さんで、谷山忠男さんという、僕の叔父さんがいます。
今日、明日、明後日、銀座で個展を開いています、書道の個展です。もしよかったら、お時間があった行ってください。
そして、今日、この言葉を僕にくれました、「島は不動、人間騒ぐな」・・・要には島は動かないんです、騒いでいるのは人間だけなんです。
日本人が騒ぎ、そして韓国人が騒いでいる、でも島は悠久の歴史を刻んでいる…。


要は、忠男叔父さんが、今日、銀座で、僕に伝えようとしてくれたことは、人の心が変わらなければ、結局、竹島問題は永久に解決しないということなんじゃないかな、と、そのように思いました。


カムサハムニダ(お辞儀)




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ラベル:谷山雄二朗
posted by K_美樹 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 竹島不法占拠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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