2014年04月01日

日本と韓国を決定的に分けたもの(3)

昨日のつづきになります。


*        *        *


「武士道」は脈々と200年の鎖国下、支配階級であった武士たちに受け継がれ、人格において清廉潔白、無欲恬淡の高風をもつ、いわば、西郷隆盛のような人格者を世に量産した
命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、仕末に困るもの也。此の仕末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。(西郷南州遺訓)


明治の初期、ジョーンズ・ホプキンス大学に留学した、士族出の新渡戸稲造は、「日本人とは何か」とアメリカ人に問われ、とっさに答えられず、そのことを多年考え続けた結果、明治32年、37歳のおりに一つの答えを出した。
それが『Bushido The Soul of Japan』(武士道)の著作であった
。(中略)


ブリンクリ(日本公使館付武官補フランシス=ブリンクリ,幕末に日本に派遣されたイギリス海軍中尉)が日本での永住を決意し、並はずれた親日家になった動機が、日本の“武士道”のもつ魅力であったといわれている。


日本に上陸した直後、ブリンクリは偶然、武士同士の果たし合いを目撃した。
ブリンクリが強い衝撃を受けたのは、果たし合いそのものではなく、勝利した武士がたった今、己が倒した相手を自身の羽織で覆い、跪くと恭しく合唱した姿であった。「私は日本の心=武士道を学びたい」


ブリンクリはやがて軍籍から離れると、明治政府の招聘に応じて海軍省の御雇いとなり、のちに帝国工部大学(帝国大学の前身)で3年余の期間、教鞭をとって、明治14年、「ジャパン・ウィクリー・メール」(JWM・横浜の三大英字新聞)の主筆となった。


以降、ブリンクリは日本とその文化を広く世界に紹介するとともに、その支持・保全などに、日本人に勝るとも劣らぬ貢献をしたが、わけても明治37年、日露戦争が勃発するや、「ロンドン・タイムズ」の日本通信員となり、日本の対露戦を徹底して擁護した。


彼が日露戦中に展開した親日的論駁の数々は、のちにロシアのニコライ二世をして、
「『ロンドン・タイムズ』を一読して、初めて日本を深く研究しなかった露国開戦論者たちの、軽挙妄動を慨嘆する」
とまで言わしめた程であった。


━━管理人・注━━
日露戦争当時、軍事力、資金力、国力、あらゆる面において日本は圧倒的に不利な状況であり、日本政府自ら「勝ち目は無い」と明言するほど危機的状態でした。特に資金面、そして終戦工作・ロシア分断工作の観点から、世界各国への親日化プロパガンダは日露戦争における重大案件でした。ニコライ二世の発言から、この重大案件においてフランシス=ブリンクリのはたした役割は非常に大きいものであったと推測できます。
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ブリンクリは45年を日本で過ごし、大正元年10月28日、71歳をもって死去した。
日本はこのかけがえのない恩人に勲二等を贈ると、葬儀には貴族院議長・徳川家達(第十六代宗家)、外務大臣・内田康哉、海軍大臣・斉藤実(のち総理大臣)らを参列させ、多年にわたった日本への友情に深甚の意を表している。
「日本の武士道のままに生きたかった」
ブリンクリの終生の願望が、これであった。 


彼が最も熾烈な論戦を展開した日露戦争に、今一人日本に協力して、国運を賭したこの戦争を講和に導いたアメリカ人がいた。
アメリカ第26代大統領セオドア=ルーズヴェルトである。
彼の日本に関する理解の拠りどころも、ブリンクリと同様に、日本の“武士道”にあった。
ルーズヴェルトに極東の一小国日本を強烈に印象づけたのは、前述した新渡戸稲造の著書『武士道』であった。
講和斡旋の依頼に対し、ルーズヴェルトは言った。


「私は日本をよくは知らない。だが、『武士道』は本で読みよく知っている。あの偉大な精神文化をもつ国なら、及ばずながら協力させていただこう。


こうしてルーズヴェルトに、日本を救済しようとする強い意志が働いたからよかったものの、国力すでに尽きんとしていた日本のことである。
講和が不調に終われば、間違いなく国家滅亡への道を歩むことになっていたであろう。
明治日本は、武士道の国=サムライ・ニッポン=であったがゆえに救われたといえる。


━━管理人・注━━
セオドア=ルーズヴェルトは、山下義韶(柔道十段、講道館四天王の一人)から直接に柔道を学んだ柔道家であり帯も取得しています。山下義韶を合衆国海軍兵学校の教官に推挙したのもルーズヴェルトです。ルーズヴェルトが山下と出会った時、すでに大統領の地位に就いていました。国家元首であり、且つ、大柄で軍人でもあったルーズヴェルトが、小柄な東洋人に自らすすんで親しく教えを請うというのは意外というほかなく、日本文化に対して非常に理解がある人物であったということは、このような部分からも推測できます。
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フランシス=ブリンクリといい、セオドア=ルーズヴェルトにしてもそうだが、彼らをかくまで日本人にも増して日本を理解させ、比類なきまでの親日家たらしめたその端緒――“武士道”には「大局観」を習得する上でも、改めて注目する価値がありそうだ。


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明日につづきます。


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この記事へのコメント
何気にランキングが上がってきていますね。
ちゃんと読まれている証だと思います。
勉強になりますし、こういう話、古きよき時代の先達のお話はなんともいえない不思議な気持ちになります。
まるで奇跡に奇跡を重ねて今の日本があるといいますか・・・上手くまとまりませんが、うれしい気持ちになります。
Posted by ランキングが・・・ at 2014年04月01日 22:48
親日化プロパガンダ、先人に学びたいものですよね。
影響力のある人を味方につける、効果あるんですよね。
いま一番必要なんじゃないかな。
Posted by at 2014年04月02日 01:42
>>ランキングが・・・さん

コメントありがとうございます(^^)

そうですね、日本は奇跡を重ねて生き残りました。
日露戦争の奇跡については、以前、すこし記したことがあります。
もしよろしければどうぞ m(_ _)m
http://3gensoku.seesaa.net/tag/articles/%93%FA%98I%90%ED%91%88

しかし、昔の日本を知るたびに、
憂鬱とも何とも言えない寂しい気持ちになるのはどうしてでしょう・・。
Posted by 美樹 at 2014年04月02日 19:48
>>2さん

コメントありがとうございます m(_ _)m

そうですね、すごく重要なことです。
実はそれについて資料を集めていたこともあるのです。
記事にしようかと思っていた時期もあるのですが・・。
過去に色々とありまして・・・ボツになってしまいました(^^;
Posted by 美樹 at 2014年04月02日 19:50
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