2014年03月26日

靖国問題は、まったく違った次元へ

靖国参拝の影響の記事を紹介いたします、二日連続ですね。。


著名な評論家、大前研一さんが、
「安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋」
という記事を発信しておられます。
PRESIDENに載った記事ですね(下部にURLを記しておきます)。


個人的に納得できないところもありますが、まぁ参考にはなるでしょう。
様々な意見を目にすることで思考に柔軟性をつけるのは重要なことです。
(ネットで保守活動を行っていますと反対意見を目にする機会が減りますので)


この記事の中で、大前さんは


『まだほとんどの日本人が気づいていないが、安倍首相の参拝で、靖国問題はまったく違った次元に広がってしまった。』


と述べています。
また大前さんは、


『インドが反発し、安倍を警戒している。』


とも述べています。
この件に関して、私は、過去に何度か「インドの反応はネガティブだと思う」と書きましたが、大前さんは、はっきりと反発と書いています。
私もインドは中立ではないと思います。
(「インドが参拝を支持している」と言っている人もいますが、これは嘘です)

参考:[【保守活動講座1】靖国参拝を支持している国?]
http://3gensoku.seesaa.net/article/389866732.html


安倍首相の参拝で、靖国問題はまったく違った次元に広がってしまった――どういうことなのか一読してみるのもよいのではないでしょうか、参考にはなります。


[安倍首相の靖国参拝、知られざる波紋]
http://president.jp/articles/-/11835


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[自分用まとめ]
安倍首相にとっても財界にとっても“予想外”だったのは、今回の参拝に対する国際社会の反応である。中韓の反発という想定を超えて、靖国問題が世界中でクローズアップされて、アメリカやロシア、インド、ドイツなどからも厳しい批判的な声が寄せられたのだ。

英訳本では「Yasukuni War Shrine」と表記されてきた。要するに「戦争神社」である。

どれだけお色直しをしても、日本帝国主義を象徴する「戦争神社」として創建されたオリジンは色濃く残っている。靖国神社に併設されている「遊就館」という施設をご存じだろうか。ゼロ戦や人間魚雷など戦争で使われた兵器や戦争関連の資料、遺物遺品がところ狭しと展示されている軍事博物館である。

遊就館のような施設を持ち合わせている靖国神社で平和や非戦の祈りを捧げるのは、あるいはそれを参拝の口実にしている安倍総理のレトリックは、論理矛盾していると言わざるをえない。

(中国の)戦後賠償の放棄を国内向けに説明するために、周恩来がひねり出したのが「中国人民も日本国民もともに日本の軍部独裁の犠牲者」という理屈だった。つまり、A級戦犯を“日中共通の加害者”に仕立てたのだ。

田中首相はあまり深く考えずに合意し、それが日中の密約になった、あるいはそれ以来ODAが田中派の利権となった、と言われている。問題はこれが条約でもなく、公開された文書でもない、というところで、したがって同じ自民党であっても反田中派や、ましてや国民は、「そんなことは知らない」のだ。

中国の立場からすれば、日中の両国民は同じ“被害者”という前提で友好関係を結んだのに、「話が違う」ということになる。“共通の加害者”であるA級戦犯を奉る靖国神社を国民の代表である首相が参拝するということは、日本国民全体が加害者の側に与することになってしまうからだ。

A級戦犯を“共通の加害者”に仕立てて、日中両国民は“被害者”であるという前提で日中友好が進められてきたことも、日本の国民は知らされていない。だから中国が靖国問題で怒る、エキサイトする理由がさっぱり理解できずに、「内政干渉だ」と反発したくなる。さらに問題を複雑化したのは、周恩来が持ち出してきた「日中の共通の加害者である軍部独裁」について、きちんと定義しなかったことだ。

中国や韓国から見れば安倍首相の靖国参拝は、彼らにとっては戦争加害者(と彼らが勘違いしている)A級戦犯を礼賛しているようにしか映らない。さらに今回、アメリカが口を出したのは、靖国参拝を強行した安倍首相が戦後秩序全体を見直そうとするように見えるからだ。

戦勝国のロシアにしても、靖国参拝は(北方四島占領などを含めた)歴史の見直しにつながるように見えるし、謝罪と賠償で過去を清算してきたドイツにしても、戦前を蒸し返すような靖国参拝は理解できない。インドが今回反発しているのも、同じく(日本人が尊敬し感謝していると思っていた)パール判事の東京裁判を「受け入れていない」かのごとき安倍首相の言動をいぶかしがっているからである。年末の安倍首相の靖国参拝は従来の中韓の反発を遙かに超えて米ロやインド、欧州までも含めた「日本=安倍警戒論」を巻き起こしてしまったのである。

どこの国も靖国問題の詳しいいきさつを知らない。靖国問題の本質についてきちんと諸外国に説明する必要があるが、前述のように説明できる人もおらず、誤解をどの段階から紐解いていったらいいのか明確に認識している人もいない。


posted by K_美樹 at 20:03| Comment(3) | TrackBack(0) | 靖国参拝 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「戦後レジームからの脱却」を戦略的目標として位置づけ、さらに政治的スローガンとして用いることにどれほどの戦略的価値があると考えられるか?もちろん、戦略的価値などありえない。逆に、害にしかならないことは現実の結末を見れば明白でしょう。このスローガンは、世界中に「日本は戦後世界の秩序を否定する」というメッセージだと受け取られるからです。安倍政権が仮に「日本が戦後国内で積み上げてきた重要問題のいくつか」を解決することができれば、状況は一変するわけですから、「戦後レジームからの脱却」というスローガンは不要です。まして、現在の世界における政治・経済・軍事の面で不安定化の傾向がある中、日本は更なる問題と見做されてしまうことは避けられません。首相の「靖国参拝」はこの文脈から見るべきで、それは「戦後レジームからの脱却」の意思を行動で示すということになります。そのような挑発的に見える行動で、何をもたらすつもりなのかわかりません。

歴史的に見れば。正しい事を主張すれば日本社会ではいつかは理解されたり和解できたりしてきたといえなくはないでしょうが、対外的に自分が正しいと信じることを半ば盲目的に(結果を考えず)主張するあまり、孤立していっていることが見えていない。第二次大戦での経験が忘れ去られているのでしょう。

大抵の誤解は、誤解する側にそう理解したいと言う願望のようなものがあって、ゆえに誤解を解くことは至難の業であり、自己の信念を繰り返すだけでは事態は悪化するのみだ。人生訓のつもりではありませんが。




Posted by 石田 at 2014年03月27日 01:17
「戦後レジームからの脱却」を戦略的目標として位置づけ、さらに政治的スローガンとして用いることにどれほどの戦略的価値があると考えられるか?もちろん、戦略的価値などありえない。逆に、害にしかならないことは実際の世界からの反応を見れば明白でしょう(例えば、大前さんの記事に見られるような反応)。さらに、このスローガンはいわゆる「defeat its purpose」になる、つまりそれが本来目指しているはずの目標を、スローガンを掲げることによって達成不可能にしてしまうことになる点に注意すべきである。そもそも、実際にもし「脱却」ということを戦略的目標に置くならば、それをスローガンにする愚かさに気づけないとはなんたることか。

このスローガンは、世界中に「日本は戦後世界の秩序を否定するつもりだ」というメッセージと受け取られるのです。そして、日本は自爆するといっていると歓迎されるのです(中韓だけではない)。そのようなスローガンなどなしで、安倍政権が仮に「日本が戦後国内で積み上げてきた重要問題のいくつか」を解決することができれば、状況は大きく保守・日本国民に有利に傾くわけですから、「戦後レジームからの脱却」というスローガンは不要どころか大失策です。

現在の世界における政治・経済・軍事の面で不安定化の傾向(世界の戦後レジームが変わりつつあるということ)がある中、日本こそが更なる問題とスケープゴートにされる可能性が大きい。つまり、日本が不安定化要因だと濡れ衣を着せられかねません(そうすることがアメリカを始め諸国の利益である点を忘れてはいけません)。世界の「戦後レジームからの脱却」は、現実に進んでいくでしょう。その変化の中で、「日本を取り戻す」とは一部の日本人の心情には訴えても、リアリズムがまったくありません。

首相の「靖国参拝」はこの文脈から見るべきで、それは「戦後レジームからの脱却」の意思を行動で示すということになります。たとえ挑発の意図がなくとも、そのような挑発的に見える行動で、何をもたらすつもりなのでしょうか。

歴史的に見れば、<日本社会の中では「正しい事を主張」すればいつかは理解されたり和解できたりする>と考えることが愚かだとは言えないでしょう。しかし対外的に自分が正しいと信じることを半ば盲目的に(結果を考えず)主張するあまり、孤立していっていることが見えていないのでは困る。第二次大戦での経験が忘れ去られているのでしょう。

大抵の誤解は、誤解する側にそう理解したいと言う願望(やそれに付随する利益)のようなものがあるのであって、ゆえに誤解を解くことは至難の業であり、自己の信念を繰り返すだけでは事態は悪化しがちである。人生訓のつもりではありませんが、日本は大人がいない社会になってしまっているということなのでしょう。
Posted by 石田 at 2014年03月27日 03:23
いつもコメントありがとうございます、石田さん(^^)

石田さんは戦略的ですね。
すばらしいです。

今後のサイト運営の参考にさせていただきます。
コメントありがとうございました m(_ _)m
Posted by 美樹 at 2014年03月27日 21:04
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