そして・・・これが一応の最終回になります。
『集団成極化』について補足しておくべきことがあります。
この概念がJamesStonerにより報告されたのが1961年、Wallachが追試したのが1962年・・・当時はもちろんインターネットなどありませんでした。
しかし、今はインターネットがあります。
『集団成極化』と「インターネット」の関係について、著名な憲法学者でありシカゴ大学政治学部教授でもあるCassSunstein教授は、著書において以下のように述べています。
集団成極化は、間違いなくインターネット上で発生している。 これまでの議論から明らかなことは、インターネットが過激主義の温床になっていることである。 その理由は、同じような考え方をする人たち同時が気軽にそして頻繁に話し合っていて、ほとんど反対意見を聞く機会がないからだ。 過激な意見に繰り返し触れる一方で、多数の人が同じ意見を支持していると聞かされれば、信じ込む人が出てくる。 その結果の一つに、「高度の分裂化」があげられる。 もともと考え方が固まっていなくても、見解のあまり違わないと思われる人たちが極端に違うものを読んだり見たりすることで、極端に違う考え方をするようになる。 もう一つの結果は「高度の誤謬と混乱」である。 数多くの調査が、インターネットのような環境では集団分裂(極端に違う考え方)が発生することを示唆している。 とりわけ興味深い実験では、集団メンバーが各自の名を明かさず会って集団アイデンティティーを強調すれば、分裂(極端に違う考え方)が一段と進むことが確認されている。 集団の性格が明確にされ、同時に各自の匿名性が守られれば、分裂(極端に違う考え方)が非常に起こりやすくなることが、この実験から推測できる。 以上のことは、もちろんインターネット上での討議の典型的な特徴である。 |
CassSunstein教授は、
『集団成極化は、間違いなくインターネット上で発生している。集団の性格が明確にされ、同時に各自の匿名性が守られれば、「極端に違う考え方」が非常に起こりやすくなることが、この実験から推測できる』
と述べていますが、この事実は没個性化の実験により多数の裏づけがとられています。
没個性化理論は、 Gustave Le Bon、Philip Zimbardoらにより提唱・研究されましたが、その後、さまざまな実験・改良が加えられ、現在では、
『集団の中に入りアイデンティを自覚した人間が没個性化(匿名化)されると集団の性格の影響をますます受けるようなる』
ということが確定しています。
つまり、保守傾向のある人間はますます保守となり、「大義のためでれば、多少、非道徳的な戦術を用いるのはやむを得ない」と考える人間は、ますます「非道徳的な戦術は、当然に許される」と考えるようになります。
集団成極化は間違いなくインターネット上で発生している(CassSunstein教授)
さらに問題なことに、現在のインターネットは、オフラインネットワーク(現実社会)とも密接に絡み合っており、それぞれが別個の存在として独立しているとは言いがたい状況です。
インターネットは現実社会に強力な力を及ぼしています。
そして、現在の新興保守活動団体のほとんどが“ネットの声”の後押しを受けて大きくなった団体だということは疑いようのない事実なのでしょう。
はっきりと「我々は“ネットの声”を代弁している」と明言している団体もあります。
しかし、もし・・・仮に、、、その代弁している“ネットの声”が集団成極化により、頭がおかしくなっているとしたら・・・社会変革運動はどうなってしまうのでしょうか。。
『集団成極化』が、社会変革運動の崩壊要因であることはすでに述べました。
インターネットは、オフラインよりも、さらに強く激しく『集団成極化』を促進します。
日常的にインターネットによく触れる方は、この現象について、さらにさらに注意深くなる必要があります・・・敗北しないために・・。
現実社会と比較してネットの方に、より多く触れる方は、昨日も書きましたが以下のような視点をさらに強く持つ必要があるでしょう。
(1):ネット上において、威勢のいい勇ましい主張をしている人を見たのであれば『他者優位性(他者に対して優位に立ちたい習性)』が現れているな――と考え、一歩引いて距離を取る。 (2):たくさんの人やブロガー、象徴的活動家、有名サイト・ブログが言っているからそうなのだろうな――という『自分を説得しようとしている感覚』を自覚できるように日頃から訓練しておく。 (3):「保守なら賛同するのは当然だ」「こう言うと格好いいな」「こう言うと感情を揺さぶられるな(ワクワクするな)」このような高揚感・幸福感にかられたら、一歩引いて冷静になってから、それが本当に論理的に正しいのかを考えてみる。 |
また、これも前述しましたが、インターネット上において
「威勢のいい勇ましい主張」
「思想的な酔ったような主張」
「魂を揺さ振られるような好戦的主張」
このような主張・行動を行っている方を見かけましたら「“集団成極化”という物の存在と、そのメカニズム」について、それとなく伝えるとよいでしょう。
「集団成極化という精神異常状態が存在し、それは保守(日本)を敗北させる」と・・・。
あくまで伝えるだけでいいでしょう、議論などを展開して話を複雑化させる必要はないでしょう。
また、上記のような言動・行動を繰り返せば、集団成極化を促進し、保守(日本)を敗北させることができます。
であるならば、そのような言動・行動を執拗に繰り返している方々の目的は何なのか?――残念ながら考える時期に来ているのかもしれません。
* * *
ここ数日間、ずいぶんと長文を書いてしまいました。
この件に関しては、これで終わりになります。
私の稚拙な文章を最後まで読んでいただき、ありがとうございました m(_ _)m
活動家が『相互確証幻想』『集団成極化』に取り憑かれますと、活動家は頭がおかしくなり、その結果、社会運動体は『損益無視の馬鹿げた行為・高リスクの極端に攻撃的な行動』を行うようになり、結果として『社会変革運動は崩壊する』という事実があるため、保守活動家は『“相互確証幻想・集団成極化”と“それに取り憑かれた人々”』と戦う必要がある――という流れについては覚えておいて頂けると幸いです。
すべては日本が「勝つ」ために・・・です。。
長文、最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました m(_ _)m
もしよろしければ・・―→
しばらくゆっくり休んでください。
美樹さんはこれを学術面から丁寧に説明されました。特に異論反論はありません。
元々、愛国保守派の人々はお花畑左翼と違って
「平和憲法9条の下では国防が不安だ」
「中韓の反日ロビー活動には大人の対応ではなく、反撃するべきだ」
といったように、護憲派より「危機感を敏感に感じ取れる人達」だからこその愛国保守化なんだと思います。
だから過激な運動に対抗するコリアン勢力や反日勢力からの不当な反撃(言論弾圧国家にする)の危険性も敏感に察して対応できると思うし、してほしいですね。
コメントありがとうございます m(_ _)m
お心遣いありがとうございます。
この手の記事は叩かれてしまうことも多いですので、
心が休まります。。
いつもコメントありがとうございます m(_ _)m
定期的に似たようなことは書いたりしているのですが、
けっこう異論反論(を超えた物も・・)が強くて
一時期はつらい事もありました(^^;
(精神的にキツかったのでメルアドを外してしまいました)
今回は、踏み込んで書いてみましたが、
理解していただける方が居るというのは嬉しいものですね(^^)
わかってもらえないことも多いのです。
「過激化を抑えることが、なぜ勝利に繋がるのか分からない」と・・。
これは大半の人が理解できると思うんです。
美樹さんが口を酸っぱくして言われてきた運動の過激化・先鋭化の問題、
シーシェパードにも当てはまりませんか?
管理人さんに質問です。シーシェパードは今後どうなるでしょう? 美樹さんによるなら衰退していく可能性が高いですよね。
まあ、シーシェパードの場合は核となる真面目な主張そのものが論理的でなく無理な言い分であるマイナスもありますけど。
主張に無理があり、人種差別的であり、なおかつ違法行為でもって妨害活動をしております。過激化・先鋭化そのものです。
シーシェパードは本当に衰退していくのでしょうか?
目的達成という面においては「成功しない」でしょう。
本当は断言したいのですが、この手の話は
色々と深い内容がありますので控えめの表現にしました(^^;
少し語れる内容がありますので書いてみます。
まず、私が長々と連載してきた内容は、
ある国家という枠組みにおける社会変革運動を前提にしています。
さらに、近代民主主義国家という枠組みですと、さらによく機能します。
多くの場合、社会変革運動と言えばこれを指しており、
社会変革運動とは以下のようなものであると表現されることがあります。
『社会変革運動とは活動家、当局、敵手、内部エリート(権力内部関係者)が
繰り出す対抗戦略の奏でる音楽である』
そして、この中で、大きなウェイトを占めるファクターが
当局であると言われています。
かなり大雑把に書いてしまいますと
『社会変革運動は活動家と当局が繰り出す対抗戦略の奏でる音楽である』
という考え方があるのです。
結局のところ社会変革運動は、当局の抑圧と促進にどう対応するか・・、
という観点が重要であると考える・・・このような理論があるのです。
(かなり大雑把に書いています、細かいところを突っ込まないで下さい)
では、シーシェパードという活動体に対する当局とは何なのか?
と考えますと、何なのかこの瞬間には思い浮かびません(^^;
国家において秩序と社会規範をつかさどるのは当局ですが、
シーシェパードのような活動体にとっては何なのか。。
これは新しいトランスナショナルな社会運動と呼ばれるもので
研究があまり進んでいないのです。
ですので、従来の分析枠組みで厳密に論じることはできません。
(これは研究家間でも明確に分けて論じられている分野です)
ただ、成熟した現代という枠組み中で、暴力的な強制的手段というものが、
もはや人の心を掴めないというのは社会運動学者の共通した見解です。
もはや研究課題から除外している(意味が無いものなので言及しない)
研究者も居ます。
社会変革運動が支持拡大運動である以上、
人の心を掴めない活動は意味が無いと私は思います。
私は麦茶さんの質問に対して「衰退する・しない」ではなく
「成功しない」と答えました。
複雑な内容になってしまいますので、どこまで書くべきか悩むのですが、
社会運動分析三角形という概念があります。
社会変革運動は、動員構造、政治的機会構造、フレーミングの三つにより
その動態を分析可能であるという考え方です。
ようするに
(1)「組織力と動員能力」(動員構造)
(2)「政治的に抑圧されず開放されているか」(政治的機会構造)
(3)「正当化・動機付けの状況定義」(フレーミング)
の三つにより社会変革運動を分析できるという考え方です。
話が終わらなくなりますので、今回は(1)についてのみ触れます。
今回、この文章を書くにあたりシーシェパードをよく知りませんでしたので
(名前と大まかな活動ぐらいは知っていましたが)
wikiを見て調べてみたのですが、この団体は「(1)動員構造」が
結構しっかりと出来上がってしまっています。
つまり、複数の企業のスポンサーがついており、
政党や著名人のバックアップもあり、
寄付金および何らかの形で収益をあげられるような構造ができており、
動員構造ができています。
おそらく有給社員のような人もいるのでしょう。
さらに、人は誘引(便益)で動くというのは当たり前の話ですが、
正式にしっかりと組織化されると、こういった誘引が
無条件で発生するといわれています。
主義主張の合う仲間と、触れ合い、助け合い、語り合うのって
安心感が得られますし楽しくありませんか?
それが便益となり動員構造を強化すると言われています。
このような動員構造が一度できてしまった運動体というのは、
大して成果を出せなったとしても、ダラダラと長続きします。
前述のとおり、このタイプの社会変革運動に対しては、
研究がまだ進んでおらず、伝統的な分析枠組みが使用できませんが、
動員構造がさらに巨大化し、政治的機会構造が開放されるならば、
それなりに大きくなる可能性は、まったく無いわけではありません・・が、
・・・最終的には成功しないでしょう(触れませんが2,3からも無理です)。
衰退するかどうかは判りませんが、成功はしないでしょう。
(“やり方”を変えれば成功するかもしれませんが・・)
wikiを見ても、
“やり方”に不満を訴え、離れていった企業や著名人もいるようです。
(ちなみに、この団体は37年間ほど活動しているようですが、
何か目に見える大きな成果は出せているのでしょうか?)
現代において(実は過去においても)倫理に歯向かって成功するのは難しいです。
脳科学的な話になってしまいますが(2,3にも絡んできます)。
倫理には社会すら動かす不思議な力があります。
(いずれ書きたいなぁ、と思っています)
そもそも、シーシェパードのような活動は、このサイトの趣旨とは
ズレてしまっています(別概念の存在です)。
以前は上記のような分析構造の話もまとめようかと思っていた時期も
あるのですが、最近は、もういいのではないかな? と思っています。。
話がどんどん複雑化してしまいますので・・。
社会変革運動を成功させるには、
(1)事態を成功へと動かす積極的活動(プラスパワー)
(2)事態を失敗へと向かわせる活動(マイナスパワー)
の合計で決まります。
成功させるには(1)を増やして(2)を減らせばいいわけですが、
日本の反韓(正確には反特ア)、そして保守化の“うねり”は
もう止まりません、止めようがありません・・・保守が自爆しなければ。。
特アの指導者が、こぞって自爆行為を繰り返し
日本以外の諸外国からも批判を浴び、
昨年の週刊誌の反韓記事掲載率は98%、
書店には反特アの特集コーナーができ、本を出せばベストセラー。
最大手新聞、公称1000万部の読売ですら反韓記事を書くことを躊躇わず、
何よりマスコミの影響力自体が低下しており、今後、復権の可能性はゼロです。
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15〜30代のメディア接触時間において、ネットはテレビを
明確に上回っています。つまり、テレビはもうネット以下の
存在であり、今後は、その程度の影響力しか持ちえません。
今後、さらに影響力は落ちると予測されます。
[博報堂,2013年調べ]
http://3gensoku.up.n.seesaa.net/3gensoku/image/E383A1E38387E382A3E382A2E68EA5E8A7A6E69982E996932013.jpg
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今後は、(2)を徹底的に減らせばよい、で話が片付く話で、
問題を、いたずらに複雑化させる必要は無いのではないかと思っています。
(もちろん何事もバランスが重要ですので、(2)に注視せよと
言っているだけで、普通に、当たり前の活動を当たり前に行うのは
何も問題ないのは当然のことです)
もう一つ、、、また細かい話になってしまいますが、
私は、運動を後押しして“無理に”加速させる必要も
無いのではないかとすら思っています。
実は、この手の変化は、ゆっくりの方が上手くいくという話があるのです。
(まだ研究段階の部分もあり断言はできませんが・・)
慣習化とブーム化に絡んでくる話なのですが・・。
すいませんね、話が長くて(^^;
文章をまとめるのが苦手なのです m(_ _)m
何とも言えない感じでしょうかね。社会変革運動と言っても、行う舞台が違うので同じようには語れないですね。
シーシェパードの妨害活動は基本的に南極海の公海上で行われてますし。
世界を舞台にしていると言っても過言ではなく、「倫理的であること」が勝つために必要ということですが、
欧米諸国の何割かからすれば「捕鯨活動自体が倫理的ではない」と考えています。中には妨害活動は大した問題じゃないと。
結局、社会運動が行われている環境で対立関係にある、どちらが不正であり倫理的でないと捉えられているか が重要な気がしてます。
極端に言うと正しい事をしていても、世界がそれを間違っていると思ったらもう負けなんです。
そういう意味でも、今月31日に国際司法裁判所の判決が気になります。オーストラリアが4年前に調査捕鯨ではなく商業捕鯨だからやめるようにと訴えたもので、
16人の裁判官の多数が反捕鯨国出身者で、日本側の主張自体は自信があるもののようですが、どうなるかですね。
日本における反韓デモでは非倫理的な行いはしない方がいいです。日本が舞台では左翼勢力がまだまだ強いので慎重にやるべきなんです。
シーシェパードの場合は月末に出る国際司法裁判の結果が見たいですね。
国際的には反捕鯨の空気の中、調査捕鯨の正当性がきちんと認められるのか否か。
賛同出来ませんでした。
まこりんに直接言ったらいかがですか?
まだまだ保守は日本の人口の三分の一すらいっていない(ノンポリ半数、反日日本人と保守が同数くらいですよね)のに、
こちらの行動だけ規制しようとするあなた方のほうが邪魔です。
私は保守化の運動を規制しようとはまったく考えていないのですが、
もしよろしければ、賛同できない理由について教えて頂けますと
嬉しく思います。
コメントどうもありがとうございました m(_ _)m
こんな当たり前ことが理解できないで保守を名乗るなよ。
と言わざるを得ない人がいるのは残念ですよね。
そんなことでは〃当局に〃規制されるぞという話がなぜわからないのか。
既に頭がおかしくなっているのでしょうか。
私自身は保守でも革新でもなく、我が国を不貞の輩に汚されたくないだけの凡人なのですが、一部有名保守活動家の教条主義的主張には失望を禁じ得ません。
こちらの記事を拝見してモヤモヤしたものが晴れた気分です。
ありがとうございます。
最近は体調が悪く、なかなかレスを書くことができない状態です。
しかし、読まれた方から感想をいただけるというのは嬉しいものです。
サイト運営の参考にしたいと思います。
どうもありがとうございました m(_ _)m
読んで思ったのは、その状態にオウムや学生紛争も陥っていたのではないか?という感想でした。
ご存知のとおりオウムは後継団体どころか完全に袂を分かつ意思を表明している団体にさえ、世間はネガティブなイメージを持ちますし、学生紛争はあさま山荘事件以来急速に冷え込み、現在ではその残り香すら感じることができません。
同様の事が日本の保守の間で起こったとしたら・・・?
これは由々しき事態ですね。
常に正しい知識を得て正しい判断を行う、簡単に言えど極めて難しいと感じました。
同時に、そこが徹底できるなら、極めて良い状態になれるだろうとも思いました。
重ね重ね、素晴らしい記事でした。
どうもありがとうございました。