『相互確証幻想』が社会運動体に与える影響について注意しなければならないことがありますので補足しておきます。
A.Oberschall(ノースカロライナ大学教授)博士の論文には以下のようにあります。
合理的な意思決定者は普通は行為の方向を選択する際にその利益と損失を考慮し、純利益(すなわち利益が損失を上まわる分)が最大限と予想される方向を選択するものである。 しかしジャニスの命題が示すように、人はグループシンクのために強制的行為による損失を過小評価したり成功の見込みについて過度に楽観的になったりする。 つまり強制的行為から期待される利益が過度に評価されるのである。 |
要約してみますとA.Oberschall博士は、
『合理的な人間は、損失よりも利益が大きいと予想される行動を選択するものであるが、相互確証幻想(グループシンク)に陥った人間は、「行為による損失」を過小評価し、「行為による利益」を過大評価する。』
と述べています。
ようするに『相互確証幻想』の影響下では「損益対比計算の麻痺」が起こると述べています。
ちなみに、A.Oberschall博士は、この事実に注目し社会紛争研究において「合理的選択の枠組みを維持した上で社会心理学を取り入れること」を提起しています。
(以下でA.Oberschall博士の言う紛争には「示威行動・抗議集会・行進」という意味があります)
ジャニスの著作が示唆しているのは、紛争状況での合理的選択による意思決定モデルを全く放棄してしまうのではなく、それを心理学や社会心理学の変数によって改良する方法である。 つまり合理的選択モデルの枠組みは維持しつつも、さまざまな状況下で変わるのは行為者による損失や利益、または成否の可能性についての計算であるとする。 したがって「誤った」意思決定をした者もそこから期待される純利益を最大にしようとする。 損失と利益の計算に用いられる情報や認識がまさにグループシンクの状況の下で誤ったものとなり「非現実的な」決定を生むのである。 |
『合理的選択の枠組みは維持しつつも、相互確証幻想により変わるのは行為者による損失や利益の計算である』
さて、ここまで書いて私が言いたいことは、「相互確証幻想に取り憑かれた異常政策集団」が主張していることは、筋がとおっている(ように見えることが多い)ということです。
要するに、『一見、合理的なように見える』のです。
合理的な枠組みを維持しているため、「相互確証幻想の影響下にある人」はもちろん、まだ軽度な「影響を受けつつある人」でもあっても、その「合理的に見える錯覚」を自己欺瞞(自らをだます行為、相互確証幻想の症状の一つ)によって、なかなか見抜けない・・。
たとえば、
『過激な示威行動を行い裁判にでもなれば、メディアは取り上げざるを得なくなり、メディアに載れば人々は関心を持つだろう、ことが大きくなればなるほど私たちの思惑通りだ。』
この考え方は、筋が通っています(ように見えます)。
しかし、これには損失(リスク)の観点が抜けています。
損益対比計算の麻痺が起きています。
過激化し非倫理的な行動を起こせば、法規制がすすみ、当局の統制が強まり、倫理を盾にした勝つことが困難な強大な敵が出現し、一般人の共鳴者は離散し、傍観者は敵に回り、ネガティビティバイアス(悪い印象の方が強く永く残る効果のこと、後述します)による偏見強化により変革運動自体が不可能になります(詳しい内容を後述します)。
そしてこれらは、すでに他国で通ってきた道です。
私がネガティブシンキングに陥ってるわけではなく過去に前例があるのです。
参考:[ヘイトスピーチやめろって風潮だけど]
(アメリカにおけるヘイトクライムの法規制問題)
http://3gensoku.seesaa.net/article/384423070.html
つまり、利益(メディアに取り上げられる)と損失(活動自体が不可能になる)の比率が見合っていないのです。
――実は上記の考え方は「リターンの方も低く、かつ不明確」です。過去にSDS(アメリカ民主社会運動同盟)が同様の手法を用いて運動を展開しました。メディアは彼らの変革運動を取り上げることになりましたが、その後、メディアのフレームアップにより運動組織は解体に追い込まれました。メディアには取り上げられましたが支持拡大は起きず、社会変革運動は崩壊へと向かったのです。――
『相互確証幻想』に取り憑かれた人のいうことは、一見、合理的に見えるのです。
しかし、損失(リスク)を過小評価し、利益(リターン)を最大評価します。
そして、その説明を聞いた同調者は、どこか変だな・・・と思いつつも、自分を無意識のうちに説得、納得しようとします(自己欺瞞)。
以下のような論法を使って。。
「誰かが“汚れ役”を引き受けなければ前進しない…」
「誰かが泥をかぶり先陣をきることで局面を打開するしかないのだ…」
「まずは報道に載らなければ気付いてもらえない、これは戦略的行動だ…」
――“汚れ役”を引き受け、泥をかぶることで、法規制がなされ後退・敗北するという損失は、なぜか無視されます。報道に載ったがゆえ崩壊・敗北した過去の変革運動は、なぜか無視されます。――
すでに『相互確証幻想』の影響下にいる関係者・同調者には「損益対比計算の麻痺」が自覚できません。
さらに無敵幻想と優越意識に取り憑かれた前衛集団は、反対者からの抑圧や当局の統制に対して「規制なんができる訳ないだろ!、やれるもんならやってみろ!!」などと挑発行為を行うとともに、さらに先鋭化を進め、さらに事態を悪化させます。
それに「自ら異論を差し控える表面上の支持拡大」がプラスされ、結果として『相互確証幻想』はさらに強化されていきます。
* * *
下記のような論法でリスクを無視させようとするのは『相互確証幻想』の典型的症状です。
「綺麗ごとだけでは日本は変えられない!」
「まずは行動するべきだ、行動している人を批判する資格なんて無い!」
「理想の実現のためには誰かが“捨て石”になるしかない!」
このような甘言に精神的安堵感を抱いてしまうという人間心理の錯覚を突いて、リスクを無視させ、日本を敗北へと誘う名言を目にしたら注意しなければなりません。
高リスクな行動を選択することで、もっとも嬉しいのは敵(反日左翼・反日スパイ)なのですから。
――つまり敵にとっては上記のような台詞を言わせることができれば大勝利です――
ちなみに『リスクを取らなければ成果は得られない』というような発言をよく目にしますが、近代民主主義国家における社会変革運動は、戦争や武力抗争とは異なった概念であり「ハイリスク・ハイリターンな運動」という考え方自体が、ほとんど(あるいはまったく)存在しないと考えられます、リスクは少なければ少ないほどよいと考えられます。
(そのような運動が存在すると思われる方は、すでに『相互確証幻想』の影響が出ている可能性があります)
社会運動研究の第一人者Sidney G. Tarrow博士(コーネル大学社会学部教授)は、著書において、近代民主主義国家における社会変革運動において非倫理的な戦術を用いて勝利することは不可能であり、非倫理的な戦術が採用・発展した例も無い、と述べています。
参考:[戦略的に戦う]
http://3gensoku.seesaa.net/article/386807103.html
明日は、『相互確証幻想』と、それが引き起こす行動の問題点について、さらに深い話をしたいと思います。
もしよろしければ・・―→
もともと、サヨク左翼や、カルト宗教、
マスコミに先導されるお花畑に見られる現象ではないでしょうか。
ともあれ、方向性は別として、
合理的な選択ができるか否かが分岐点ではありますが・・
そうですね新左翼は典型でした。
彼らの失敗はとても参考になります。
ちなみに彼らの敗北に関しては、これらとは別の存在の影響もありました。
抑圧者はよく研究していました。。