2014年02月02日

戦略的に戦う

かなり前のことですが、このブログを訪れた方が、
「保守主義者は率直でひたむき過ぎるところがある」
と話しておられたのが印象に残っています。。
私もネットなどを見ていてそう感じることがあります。
保守主義者は、なぜか崩し技を使わない・・。


日本人の大和魂的な精神のようなものなのでしょうか。
正面から倒したい、敵を叩き潰したい・・・そんな感覚を覚えます。


ただ、現実問題として、こちらが圧倒的な優位をたもってる場合でもないかぎり、こういうことは難しいのではないかと思います。
ちょっと前に日露戦争の情報工作戦の記事を書きましたが、日露戦争において、


『相手が来るならばこちらも叩くだけのこと、目には目をだ!!』
『戦う前から終戦工作をするなど負け犬がすることだ!!』


このような発想でいたとしたらば、現在、日本国は消滅していたでしょう・・。


卑怯なことをする、というのは長期的に見てマイナスにはたらきますので避けるべきですが、保守勢力にはある種の「うまさ」・・・柔軟性が必要なのだと思っています、保守勢力が圧倒的優位な状態とは思えませんし。。


*        *        *


保守勢力は、なぜか相手を正面から攻撃したがります。
これは、ある種の“格好よさ”がありますが、「勝ち」を最優先に考えるのであれば、あまり賢い方法とはいえません。
以下は戦略論の一般的な基本とされるものになります。



『物理的には、もっとも抵抗が弱い部分を攻撃する』

『心理的には、敵の最小予想コースを選択する』

『上記をふまえ「敵が予想できたとしても対策し難い部分」を攻撃する』

『リスクに見合ったリターンがある戦略を採用する』



しかし、なぜか、もっとも予想しやすく、抵抗が強い部分を攻撃、突破しようとする傾向があります。


敵が予想・対策をしやすく(裁判・扇動)、反発が大きいコース(法律・倫理・人権)を進軍しようとします。


どうしても勝ちたいのであるならば、こういう行為は避けるのが戦略においては正しいはずです。


『リスクをとらなければ成果は得られない!!』


はたしてそうでしょうか?


*        *        *


社会運動研究の第一人者Sidney G. Tarrow博士(コーネル大学社会学部教授)の著書にセルビアの独裁者スロボダン・ミロシェビッチ大統領と民衆との戦いの様子が記されています。


ミロシェビッチ大統領とはどのような人物だったのでしょうか?


ミロシェビッチが政治的に攻撃されることがなかったのは、
軍隊とメディアを支配しているからだった=中略=

非情なまでの狡猾さ、報道機関に対する統制の継続、
ミロシェビッチを支持する残存した旧共産党の機関のために、
1996年11月まではかれの権力は安泰であるかに見えた。


当時、ミロシェビッチは「軍隊」と「メディア」を支配しており、法律までねじまげるような人物でした。
当時のセルビアの統制・隠蔽は、現在の日本など比較にはならなかったはずです。


このような状況下でありながら、民衆は徹底的に平和的な手法で対抗します。


警察が、通常の歩行者だけがベオグラードの繁華街の通りを利用するようにと要求したときには、何千もの人々がペットの散歩や仕事中のようなふりをして現れた。

国家に統制されたメディアが抗議を報道するのを拒否したときには、笛を吹き鳴らした行進がその本社を毎夜列になって通り過ぎ、それが国際的なメディアに報道された。

大晦日の晩が来ると、30万人のデモ参加者は抗議を街頭パーティーへと変えた。
美人コンテストの優勝者が選ばれたときには、その優勝者は、デモ隊と向き合っている警官の一人を「一番かわいい警官」と名づけ、花束をその警官に手渡した。

何千もの市民が、寒い中を行進したり、笑ったり歌ったりした。
そうした毎夜の壮観がなかったならば、世界はおそらくセルビアをなるがままにまかせただろう。=中略=

暴力は人々に強い印象を与えるが、運動の編成に厳しい制約をもたらす。
なぜなら暴力は、運動への共鳴者を制約し脅かして追っ払ってしまうことになるからだ。=中略=

暴力が生じるか生じそうになるだけでも、それは当局に抑圧のお墨付きを与え、非暴力的な共鳴者は遠ざかってしまう。

そうしたことがおこると、近代においては勝利することが事実上不可能な、当局との軍事的対決という悪循環に組織者は陥る

民主主義国家で現代的レパートリー(共同行為の手法)の定番として発達してきた汎用的な集合行為形態の事実上すべてが、非暴力的なものであるのは以上のような理由からだろう。


1997年2月13日、独裁体制は崩壊します・・・。(参考)


『何千もの市民が、行進したり、笑ったり歌ったりした』
『暴力が生じそうになるだけでも、当局に抑圧のお墨付きを与え、非暴力的な共鳴者は遠ざかってしまう。』


Sidney G. Tarrow博士は、「勝つ」ための一つの答を提示しています。


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posted by K_美樹 at 21:01| Comment(3) | TrackBack(0) | 運動の理論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
納得せざるをえない内容ですね。段々と感化されてきたんでしょうか(笑)

宇都宮弁護士ら親韓勢力が、デモ禁止という暴挙(言論の自由の弾圧)まで本当にやれるのか、まだ確信は持てていませんが。


最近のデモの様子はどうですか? 東京五輪決定までの一定期間は嫌韓デモ自体を自粛していたほどに、考えて行動しているようですが。
Posted by 麦茶 at 2014年02月03日 20:16
>>麦茶さん

いつもコメントありがとうございます(^^)

少しでも理解して頂ける方が居るというのは
嬉しいものですね。。

最近のデモはどうなっているのですかね・・。
(いくつか派閥があるようですが)
しかし、“ヘイトスピーチ推奨デモ”とかが
行われていますので望みは薄いのかもしれません。

保守系活動団体の広報動画で、
『いずれは警察と戦う』
『在日朝鮮人の粛清(殺す?)を必ずやる』
とか言っているのを見たことがありますが、
上にも書いてありますが、日本において
当局との軍事的対決など勝てるはずがありません。

というか、社会変革運動とは
支持拡大運動のことなのですから、冗談であったとしても
このようなことを口にだしてはいけないと思うのですが・・。
なんだか書いていて悲しいです・・・。
Posted by 美樹 at 2014年02月04日 00:14
そうですか。思ったほどよろしくないようですね。
Posted by 麦茶 at 2014年02月04日 00:58
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