2014年04月05日

出来るだけ「お上品」にする?

人気サイト、月見櫓さんが『急がば回れと言いますし』という記事を発信されています。


示唆に富む内容で興味深く読ませていただきました。


興味のある方は読んでみてはどうでしょうか?
(下部にURLを記しておきます)


実は、このやり方は、情報的フィードバック法とか結論保留法とか呼ばれるもので、この手の研究では昔から有名なものです(実験・検証も行われています)。


月見櫓さんは、豊富な経験と優れた感性により本能的に気付いておられるのでしょう、敬服いたします m(_ _)m


私には、リベラルな知人が多く、なんとかして翻意させることはできないものだろうかと長年、研究・実践を繰り返しました。
ある程度、こうすればいいのか・・・というのはわかっています。
そんな過去から、このようなやり方については思い入れがあります。
(声が大きい=相手が動く、というわけでもないのですね)


以前、このような物について、かなりの長文の解説記事を書いたことがあるのですが、いろいろと問題があったようで・・・いろいろなことがあり・・・削除になった過去があります・・。
(いろいろなことがあったのです(^^;)


懐かしい気持ちになりましたので紹介いたしました。
(このようなことを書くことはもう無いでしょうし・・)
興味がある方は読んでみてはどうでしょうか?


[急がば回れと言いますし](月見櫓)
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1305.html


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月見櫓様
月見櫓様の記事が非常に興味深いものであったため紹介させていただきました。
もし問題がありましたら連絡いただければ削除いたします。
失礼いたしました m(_ _)m
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posted by K_美樹 at 20:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月04日

日本は特アに敗北する

昔のことですが、長らく保守活動をされていた保守活動家の方が
『もう疲れた、引退する』
とおっしゃっていたので、何があったのかと、少し会話をする機会がありました。


その方は言いました。

『日本は長い目で見て特アに敗北するだろう』


当時の私は納得ができず、反論しました。

『そのようなことは無いように思います・・・日本は絶対的に不利な状況を何度もはね返して来ました、たとえ一時的に敗北したとしても立ち上がってきました、長い目で見てさほど悲観する必要はないように思います。』


その方が返されました。

『そうだ、日本は強大な敵に何度も打ち勝った、たとえ負けても立ち上がった・・・。しかし、今の日本人と昔の日本人はメンタリティが変わりすぎていると思う。昔の日本人と今の日本人は、もはや別の国の人だ。』


私は反論しました。

『そのような部分もあるかもしれません・・。しかし、仮にそうであったとしても戻せばいいではありませんか、古き日本を取り戻しましょうよ!』


その方は返されました。

『あんた、、、その「取り戻そう!」って言って騒いでる連中(ネット保守?)と昔の日本人が同じ民族に見えるんか?』


私は殴られたような衝撃を受け、数分間、言葉を発することができませんでした。



*        *        *



特に何かをいいたいわけではありません、ただの愚痴です(^^;
今週、ずっと昔の日本についての記事を書いてきましたが、その過程で、昔のことを思い出して感傷的な気分になっているのかもしれません・・。


こんなことを書いておいてなんですが、私はそこまで悲観はしていません。
勝敗とは一つの要因で決まるような単純なものではありません。


ただ、上の方と会話してから何年も経っていますが、その時と比較して戦況が悪化しているように見える部分も確かにあるにはあります。
海外で活動している友人が何人か居ますが、靖国参拝、慰安婦、歴史問題、安倍警戒論――非常に厳しいという話は聞いています。
ネット保守黎明期が2000年代初頭として、その頃と比べてどうなのか・・。


私よりも、ずっと年齢が上の方でしたし経験もある方でした・・・“何か”が見えていたのかもしれません。


すいません、愚痴っぽくなっちゃいまして(^^;
性格が暗いのです m(_ _)m


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posted by K_美樹 at 20:21| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月03日

日本と韓国を決定的に分けたもの(5)

昨日のつづきです。
そして最終回です。


*        *        *


そして、いささか違った観点から日本人を讃えたのが、ロシア海軍軍人(中将)のバシリー=ミハイロビッチ=ゴローニンであろう。
文化8年(1811)、国後島で捕えられ松前に監禁されたゴローニンは、獄中、間宮林蔵に天文測量などを教える一方、獄舎の中で『日本幽囚記』を綴った。


「もしこの人々の多く、聡明犀利で、模倣力があり、忍耐強く、仕事好きで、何でもできる国民の上に、わが国のピョートル大帝ほどの王者が君臨したならば、日本の胎内に隠されている余力と富源をもってその王者は多年を要せずして、日本を全東洋に君臨する国家たらしめよう」


ゴローニンは文化10年、豪商・高田屋嘉兵衛を介して釈放されたが、それだけに、当時の鎖国日本の体制には辟易としたに違いない。
が、それでも日本人は体制が変革されれば、驚くべき進歩をとげ得る潜在能力を十二分にもっていることを認めていた。
明治維新後の日本を見るより半世紀以上もはるか前に、である。


また、先述のブリンクリと同時期に日本に滞在したラフカディオ=ハーンは、“武士道”を、「国力のつよさと信仰のつよさ」の根元であると断じ、“信・義・礼・節”などの“武士道の徳目”が、道徳の上ではキリスト教諸国民よりは、よりキリスト教的であるとも論じていた。(中略)


ところで、先には『武士道』の著者・新渡戸稲造について少し触れた。
明治の教育者として大きな足跡を残した新渡戸は、明治32年、アメリカ滞在中に、日本の道徳教育について質問されたのが端緒で、『武士道』を著したわけだが、まさしくこの時代までは、“日本および日本人”について問われれば、誰しもが“武士道”をもって説明したであろうことは疑いない


事実、日本および日本人は内外において武士道を口にし、実践して。欧米人たちに決して疑念を抱かすようなことははかった。
そしてそれは、明治から大正期を経て、第二次世界大戦頃まで、強弱の差はあれ、多くの米国人に信じられてきたことでもあったのである。(中略)


第二次世界大戦――までは、サムライ・ニッポンは明治以降も、気息奄奄ながらも生き続けていたといえよう。
第二次世界大戦に敗れ、半世紀近くを経た今、日本は経済大国として甦ったものの、昭和18年にポール=クローデルが愛し、滅ぶことのないよう願ったサムライ・ニッポンは、はたしてどうなったのであろう。


ただ一つだけ、明らかなことがある。
アメリカをはじめとする、海外から聞こえてくるジャパン・バッシングの声からは、かつてのセオドア=ルーズヴェルトやクローデルを期待すべくもなくなった、ということだ。


*        *        *


終わりです。
なんともいえない気持ちになってしまいました・・・。


日本と朝鮮の未来を決定的に分けたものは、その思想、精神性、そして「人」でした。


『「武士道」は脈々と武士たちに受け継がれ、人格において清廉潔白、無欲恬淡の高風をもつ人格者を世に量産した。』


『“武士道”は、「国力のつよさと信仰のつよさ」の根元である』(ラフカディオ=ハーン)


『日本の文明は、道徳面においては、西洋文明より進んでいたのだ。』(フューストン=チェンバレン)


あの偉大な精神文化をもつ国なら、及ばずながら協力させていただこう。』(セオドア=ルーズベルト)


これほどの“礼節”と“自制心”を発揮できる国が他に一つとあるだろうか。』(ヘンリー=B=シュワルツ)


『明治までは“日本および日本人”について問われれば、誰しもが“武士道”をもって説明したであろうことは疑いない。』


『第二次世界大戦までは、サムライ・ニッポンは、気息奄奄ながらも生き続けていたといえよう。ポール=クローデルが愛し、滅ぶことのないよう願ったサムライ・ニッポンは、はたしてどうなったのであろう。』


日本の国力・外交力が衰えているのは、多くの人が知るところだと思います。
日本ほど急激に没落した国は無い、という識者の評論も見たことがあります。


なぜ日本は衰えたのか・・・・・・良い日本を残していきたいものですね。
それがもう失われているのであれば、、、再興させたいものですね・・。


最後まで読んでいただき、どうもありがとうございました m(_ _)m


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2014年04月02日

日本と韓国を決定的に分けたもの(4)

昨日のつづきです。
そして明日で最終回です。


*        *        *


日露戦争のクライマックスともいえる日本海海戦で、ロシアのバルチック艦隊を撃破し、一躍、世界にその名を謳われた連合艦隊司令長官・東郷平八郎――彼に関する著書『東郷の国』が、明治41年、アメリカで出版された。
日露戦争が終結してから、ほぼ3年後のことである。
その著者はヘンリー=B=シュワルツといった。


彼は日露戦争で旅順が陥落した直後、来日して福岡を旅行中であったが、たまたま博多駅で遭遇した「奇妙な光景」を次のように述べている。


駅の広場は黒山の如き人垣で埋まり、警察が多数出動して、群集に向かって厳重注意を呼びかけていた。「決して指さしたり、笑ってはいけない」

やがて列車が着き、人の行列が市中を行進し始めた。
行列はロシア軍の捕虜の一段であった。

“薄汚れてアホずらしたロシア兵ども”を迎えるには場違いな厳粛さに感動した。
生涯忘れられないシーンであった。


同じ状況下におかれた場合、これほどの“礼節”と“自制心”を発揮できる国が他に一つとあるだろうか。


またシュワルツは同書において、次のようにも語っている。


「明治の日本は、人為的に急ごしらえで作られた国ではない。それは砂上の楼閣でも、決してない。過去の古い歴史に根ざし、枝ぶりのみごとな、いわば杉の大木である。現代の日本人を理解するために、何はともあれ、まず、このことを理解する必要があるだろう」(中略)


サムライ・ニッポン――それは“義”を重んじ“名”を惜しむこと(恥を恐れるということ)を特性とし、代々子孫に伝えながら、徳川250年の中で培養された日本人独特の、一大思潮を象徴する語といってよいであろう


フランスの元駐日大使で、20世紀最高の詩人でもあったポール=クローデルは、かつて、


「私が決して滅ばされることのないようにと願う一つの民族がある。それは日本民族だ。あれほど興味ある太古からの文明をもっている民族は他に知らない。この最近の驚くべき発展も私には少しも不思議ではない。彼らは貧乏だが、しかし彼らは高貴だ。」


といっている。
第二次世界大戦の最中、昭和18年のことである。
クローデルが日本の敗色濃厚となった時局において、日本の古き佳きものの滅び去るのを、衷心から惜しみ歎いたのは、まさに“自律”と“自己犠牲”、そして“美しさ”を併せもつところの、日本の“武士道”に代表される伝統、文化であったといってよい


クローデルのみらなず、日本人の中に“精神文化としての武士道”をみて、讃美し、驚嘆し、羨望した外国人は、幕末維新以来、決して少なくなかった


安永4年(1775)、長崎の出島へやってきたスウェーデン人のカール=ペーター=ツンベルグ(植物学者)は、日本人を評して次のように述べている。


「気が利いていると同時に賢明であり、従順であると同時に正義を愛し、またある程度までは自由を主張する。活動的で質素で、経済的で誠実で、且つ勇気に富んでいる」


*        *        *


明日につづきます。


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